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 ★ 2010年 6月公開
 FLOWERS−フラワーズ−
 セックス・アンド・ザ・シティ2
 告 白(佐々木バージョン)
 告 白(江口バージョン)
 孤高のメス
 闇の列車、光の旅(伊藤)
 闇の列車、光の旅(河田充)
 ジョニー・マッド・ドッグ
 ケンタとジュンと
        カヨちゃんの国
 あの夏の子供たち
 パリ20区、僕たちのクラスA
 パリ20区、僕たちのクラス@
 クレイジー・ハート(春岡)
 クレイジー・ハート(江口)
・ こまどり姉妹がやって来る
     ヤァ!ヤァ!ヤァ!
 マイ・ブラザー
 ザ・ウォーカー(江口)
 ザ・ウォーカー(河田充)
 シーサイドモーテル
2010年5月公開ページへつづく
 
新作映画
FLOWERS−フラワーズ−

(C)2010「FLOWERS」製作委員会

(C)2010「FLOWERS」製作委員会
『FLOWERS−フラワーズ―』
〜人生はリレーのように受け継がれていく〜

(2010年 日本 1時間50分)
監督:小泉徳宏
出演:蒼井優,鈴木京香,竹内結子,田中麗奈,仲間由紀恵,
    広末涼子

2010年6月12日(土)〜TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条) 他全国東宝系ロードショー
公式サイト⇒ http://flowers-movie.jp/
 女優の共演と言えば,「NINE」(2009,米)の記憶が新しい。7人の女性たちの多彩さが印象に残る。もう少し遡ると,「8人の女たち」(2002,仏)が思い出される。両方ともミュージカルだった。本作は,女優が6人に減り,しかも歌わないし踊らない。華やかさはあるが,華麗に咲き誇るというのではなく,慎ましやかで可憐という言葉が似合う。4つの季節を感じさせる景色を織り交ぜながら,筆で描く日本画の世界に浸らせてくれる。

(C)2010「FLOWERS」製作委員会
 時代は4つに区分され,3世代にわたる6人の女性のエピソードが綴られていく。1936(昭和11)年の家父長制の時代では,結婚式を目前にした凛(りん)が迷っている。父親が決めた相手との結婚に踏み切れない。父親の描写がステロタイプに陥っているのが気になる。だが,花嫁姿のまま家を飛び出して走り出す蒼井優は新鮮だ。一足飛びに人々の意識が変わるわけではないけれど,彼女の足の動きは,確かに新しい時代へと向かっている。
 モノクロからカラーに,駆ける足が凛から奏(かな,鈴木京香)に切り替わる。彼女も人生の岐路に立っている。2009(平成21)年,奏はシングルマザーとして第一歩を踏み出そうとしていた。妹の佳(けい)は,奏と対照的にいつも笑顔を絶やさない。その理由を広末涼子の表情が雄弁に語っている。それにもかかわらず台詞で過剰な説明を加える演出には興を削がれる。だが,彼女と母親の慧(さと,仲間由紀恵)の繋がりには胸を打たれる。

(C)2010「FLOWERS」製作委員会
 1977(昭和52)年,慧が大きな決断をする。彼女の生涯で最高の笑顔が十分にスクリーン上に表れなかったのが残念だ。慧には2人の姉,薫(かおる,竹内結子)と翠(みどり,田中麗奈)がいた。1964(昭和39)年,夫を一途に愛し続ける薫とウーマン・リブを思わせる翠が対比的に描かれる。各々の時代に応じた雰囲気が醸し出され,4色の味が楽しめる。琴線に触れる程まで哀歓が迫って来るとはいえないが,生きる意味を感じさせられる。
(河田 充規)ページトップへ
セックス・アンド・ザ・シティ2

(C) 2010 New Line Productions, Inc. and Home Box Office, Inc.
『セックス・アンド・ザ・シティ2』 (SEX AND THE CITY2)
〜ゴージャスでファッショナブルだけではない、SATC風“女の道”をご覧あれ!〜

(2010年 アメリカ 2時間27分)
監督・脚本・製作:マイケル・パトリック・キング  衣装:パトリシア・フィールド
製作・主演:サラ・ジェシカ・パーカー(キャリー)
出演:キム・キャトラル(サマンサ)、クリスティン・デイビス(シャーロット)、シンシア・ニクソン(ミランダ)、     ジョン・コーベット(エイダン)、クリス・ノース(ミスター・ビッグ)

2010年6月4日(金)〜丸の内ピカデリー、梅田ピカデリー ほか全国にてロードショー
公式サイト⇒ http://wwws.warnerbros.co.jp/sexandthecity2/mainsite/

 華やかなドレスをなびかせ、あの4人が帰ってきた! キャラクターもファッションもインテリアもストーリーも、これ程わくわくさせるゴージャスな映画があっただろうか! 2時間27分もSATCの世界に浸れるなんて、最高に幸せ! と、SATCファンなら誰しもそう思うだろう。






















(C) 2010 New Line Productions, Inc. and Home Box Office, Inc.
【解説】
 12年前にTVシリーズが始まり、日本ではWOWOWで放送が開始された。キャリーというコラムニストの語りで展開されるドラマは、彼女の3人の個性的な友人たちとの本音トークが満載で、世間体やしがらみにがんじがらめの日本女性にとっては胸のスクよう爽快感があった。しかも、アッケラカンと爆笑ものの彼女たちの恋の遍歴は、それまで性についてオープンに語れなかった女性たちを勇気付け、より明るく積極的に生きる道筋を切り拓いてくれた。だが、それだけではない。自分らしく生きること、社会人として責任あるキャリアを積むこと、愛する人との結婚、母親になることなど、女性がたどる人生を、その都度悩み苦しみながら真剣に立ち向かってきた。そんな彼女たちの生き様に感銘を受けては、なりたい自分を登場人物にダブらせて見てきたのだ。

 映画製作にも匹敵するほどの才能と製作費を費やしたTVドラマは、撮影もファッションもインテリアも脚本も現実の世界を活写し、深刻な内容でもスッと心に浸透させるマジックをもっていた。決して絵空事ではないリアル感も他のドラマとの大きな違いだろう。

【STORY】
 さてさて本作は、すったもんだの挙げ句にやっとミスター・ビッグと結婚したキャリーが、友人のスタンフォードの豪華結婚式からアラビアンナイトのような中東への旅を通じて、結婚について自問自答しながら、新たな幸せのポイントを教えてくれるという展開だ。

 いろいろ回り道はしたけれど、ずっと追い掛けてきた1人の男・ミスター・ビッグとの結婚生活は、部屋もインテリアも生活スタイルもすべてキャリーのセンスで仕切られていた。だが、テレビを見ながら彼女が選んだカウチでくつろぐビッグを見て、何か物足りなさを感じていた。早くも倦怠期のような状態に、心に影を落とすキャリー。

 完璧主義者のシャーロットは、あれ程望んでいた子供に恵まれたにもかかわらず育児ノイローゼ気味。ノーブラで若い魅力全開の子守が気になるものの、母親としての自分にも迷いを感じていた。着実にキャリアを積んで一流法律事務所で弁護士として働くミランダは、上司のパワハラに嫌気をさしていた。家族を犠牲にしてまでも働かなければいけないのか……そこは決断の早いミランダのこと。自分を必要とする職場が見つかるまであっさりとオフタイムをとる。相変わらずいい男に目がない肉食系の代表・サマンサは、大量のサプリを飲んで更年期と闘っていた。

 そんな彼女たちが、サマンサのお陰でアブダビ豪華ツアーに招待される。極めてお肌の露出度の高い4人のこと、イスラム文化圏でのタブーは必至!トラブル連発の珍道中。それにしても、執事付きの最高級ホテルでの滞在はハンパな豪華さではない! そんな異国の空の下、キャリーは元カレのエイダンと再会する。運命的な再会に心躍らせる二人は……。果たして、4人は無事にアメリカに帰れるのだろうか?

【みどころ】
 都会的ハイセンスなものからオリエンタル調の度肝を抜くようなものまで、ファッションショーさながらに魅せる衣装の数々。クレオパトラもシバの女王も顔負けのゴージャスぶりと軽快な音楽に、あっという間の2時間27分だった。

 さらに、冒頭4人の登場シーンでは、12年前の姿と現在の姿をダブらせて見せてくれる。見ているこちらも時代の移ろいを感じて、思わず苦笑い。スタンフォードの結婚パーティでは、なんとあのライザ・ミネリが超ミニスカで歌い踊る! さすが、ブロードウェイに顔の利くサラ・ジェシカ・パーカーらしい趣向だ。また、他の女性と談笑するビッグを見てキャリーがやきもちをやくシーンがあるが、そのお相手がペネロペ・クルス! その他、歌手のマイリー・サイラスなど豪華なカメオ出演にワクワクの連続である。

 男性を征服することが生きる証のようなサマンサにとって、ストレートに愛の表現ができないイスラム社会は何とも居心地が悪くトラブッてばかり。世界中どこへ行ってもアメリカナイズを通そうとするアメリカ人のエゴを皮肉っているようだ。

 一番お行儀のいいシャーロットがお酒の力を借りて本音を吐露するシーンも、聡明なミランダの巧みな戦術が活きていた。そのミランダこそ今回の最大の功労者と言えるだろう。失業中ということもあって、言語や文化、習慣に至るまで誰よりも旅のリサーチをして、お疲れ気味のみんなのために粋なプランを組んでは旅の楽しみを盛り上げていた。(こんな頼りがいのある友達が欲しいもんだ)

 そして、キャリー……エイダンとの“焼けぼっくり”騒動で本音を語って、思わずグっとくるシーンがある。「〜急に昔の自分が思い出されて…あの頃の私はニューヨーク中を駆け回っていた。ひとりの男を追い求めて…」そう、ミスター・ビッグに翻弄されながらも一途に彼を想い続けてきたキャリー。ずっとTVシリーズを見て来られた方なら、あの頃の彼女の苦悩ぶりをよ〜くご存じのはず。念願叶って結婚したのに…と、深く反省するシーンがいいのだ。キャリーの可愛らしさが光る場面だ。(サラ・ジェシカ・パーカーは本当に声がカワイイ!)

 だが、それだけで終わらないのがバージョンアップ版の所以。「いつまでもキラキラした夫婦でいられるよう、お互い努力しましょう!」とキャリーはビッグにのたまう。これは日本の夫たちには中々言えないことだが、提案する価値はありそうだ。 結婚後男も女も変わってしまうのが世の常、このような前向きな生き方をするには大変な勇気が要る。 本作の外見だけ見てキャーキャー騒いでないで、 4人のニューヨーカーの本音と弾けぶりを、私達への力強いメッセージとして受け止めて、心から楽しんでほしいものだ。
女性よ、永久に美しくあれ! そして、永久に女性であることを楽しむべし!

【おまけ】
 ニューヨークでは、SATCのロケ地を巡るツアーが人気らしい。その集合場所になっているのがセントラルパークの南に面した高級ホテル、ホテル・ピエール。 その場所は、かつて『追憶』(’73 シドニー・ポラック監督)のラストシーンで、愛しながらも主義の違いで別れなければならなかった主人公(バーブラ・ストライサンド) がビラ配りをしていた場所だ。最愛の男(ロバート・レッドフォード)が美しい妻を伴いホテルから出て来て再会するという、何ともせつないシーンだ。

 そこはSATCのTVドラマ第一シリーズのラストシーンにもなった場所でもある。ニューヨーカーなら誰でも知っているような『追憶』について4人で話をしていて、リアルタイムで観ていたはずのサマンサが「知らない」なんて言って、「信じられない!」と一斉にブーイングされる。1人の男を想い続けるなんて、そんな辛気くさい映画なんてサマンサはお嫌いのようで、知らない振りをしていた訳だが・・・。ミスター・ビッグとの恋に破れたキャリーの心情を映画の主人公とダブらせて、それはそれは印象深いラストシーンだった。
そこをツアーの集合場所にするなんて、なんだか粋な趣向ですね♪

(河田 真喜子)ページトップへ
告 白 (佐々木よう子)

(C)2010「告白」製作委員会
『告白』
〜傑作「茶番劇」に託した中島監督の祈り〜

(2010年 日本 1時間47分)
監督:中島哲也  原作:湊かなえ『告白』
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃他

2010年6月5日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、シネリーブル神戸ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://kokuhaku-shimasu.jp/index.html
 陰惨な少年事件を絵空事のように傍観し、真相に関心も持たない。そんな世に生きる人々の心象風景を、中島哲也監督は独自の個性的な映像感覚で1本の映画に結実させた。
  原作は湊かなえのミステリー小説。ある中学校で教師(松たか子)の娘が死ぬ。彼女は担任するクラスで「君たちの中に、娘を殺した人がいる」と告白し、報復を誓って退職する。小説は全編一人称の文体で、教師に始まり、犯人とされた少年2人と母親(木村佳乃)らの独白によって、事件の謎解きを展開させる。
 映画も、序盤は小説同様のミステリー仕立てに見えるが、そのうちに見る者を混沌に陥れる。スクリーンには、謎解きのよりどころとなる「事実」が全く映っていないように感じてくるのだ。登場する誰もが延々と、自分に都合の良いウソの言い訳を話し続けている空虚さすら覚え、あまりに現実味のない「茶番劇」の迫力に圧倒されるうち、あっと驚く幕切れが訪れ、しばし、ぼう然とした。
 全編一人称の小説を映画化する時は、せりふをできるだけ割愛して映像で表現する手法を取ることも多い。最近では「人間失格」がそうだ。ところが、中島監督は登場人物の独白を全編に盛り込み、かえって映像表現の強さを増した。語りは映画に通底するリズムを作る。そこに、現実か記憶か、妄想か区別のつかない映像が、時間や空間軸を自在に操り重ねられていく。そして、語りの説得力が薄れ、単なる「音」になって空転し、映画のウソっぽさが加速していくのだ。
 疑われた息子と溺愛する母親をホラー風に、去った教師の後任の熱血教師(岡田将生)の行動はミュージカル調に見せるなど、皮肉で危険な笑いを誘う演出も効いている。さらに、人物の心象を様々に彩る音楽が映画をどんどん転調させていく。クラシックから電子音楽、ハードロック、AKB48(!)まで。そして、主題歌を歌う英国のロックバンド、レディオヘッドのトム・ヨークの、愚かな人間の行いを天上から見守る天使のような声が響くクライマックスに、一気に陶酔が高まる。その末に感じたのは、本作が、恐ろしい行動を起こす人間心理の「わからなさ」をリアルに描こうとしたのだということ。そして、命の尊さに鈍感な人間に、良心を問う監督の祈りだった。
(佐々木 よう子)ページトップへ
告 白 (江口 由美)

(C)2010「告白」製作委員会
『告白』
〜告白からはじまる衝撃の復讐〜

(2010年 日本 1時間47分)
監督:中島哲也  原作:湊かなえ『告白』
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃他

2010年6月5日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、シネリーブル神戸ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://kokuhaku-shimasu.jp/index.html
 「娘はこのクラスの生徒に殺されたんです。」主人公が娘の事故死の真実を教室で告白するところから始まる復讐の物語は、緊張感みなぎる衝撃のエンターテイメントとして観る者を圧倒する。
 生徒に娘を殺された女教師、森口を演じるのは松たか子。愛するものを全て失ってしまった女の悲しみや復讐に燃える心を外に見せず、内に秘めた演技は鬼気迫るものがある。一方、仮面の表情と驚愕の表情を見せるのは犯人Bの母親役の木村佳乃。犯人扱いされ、自宅で変わり果てた息子の姿に耐えきれず衝撃の決断を下す母親の姿に追い詰められた人間の狂気が感じられるのだ。
 森口から衝撃の告白を受けたクラスの生徒たちは、新しい担任のもと空々しい明るさを見せつける。岡田将生演じる勘違い熱血教師は、生徒たちからみればまるでピエロのようだ。そのピエロぶりに合わせた生徒たちのはしゃぎぶりと裏で横行している犯人Aに対する激しいいじめが、抑えた色の映像で、スローモーションを交えて詩的に語られていく。13歳という思春期只中の彼らが何に飢え、何を求めているのか。その姿を見ていると、犯罪へのあまりにも幼稚で自己中心的な動機が浮かび上がり、唖然とさせられる。重い秘密を抱えたクラスが送る日々に真の笑顔はない。
 本作は、一人称で告白するという独特のスタイルで、一つの事柄を多面的に浮き彫りにしている。個々の事実が、一つの真実に結晶する瞬間がダイナミックな映像とともにスクリーンに現れるとき、森口の壮大な復讐の全容が明らかになる。『下妻物語』、『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督が描きだしたベストセラー小説『告白』の世界は、演劇を見ているかのような緊張感と抑揚に溢れている。シンプルに見せながら、人間の感情の表と裏を描き、単なる復讐物語では終わらない深みが加わった非常に見応えのある一本だ。
(江口 由美)ページトップへ
孤高のメス
『孤高のメス』
〜医の倫理をズバッと直球ストレートで斬る!〜

(2010年 日本 2時間6分)
監督 成島出
原作 大鐘稔彦
出演 堤真一、夏川結衣、吉沢悠、余貴美子、生瀬勝久、柄本明

2010年6月5日(土)〜全国ロードショー
公式サイト⇒  http://www.kokouno-mes.com/
 都はるみの歌をカセットで流し、“魔術のようなメスさばき”で執刀……。あの強烈なコブシ回しに釣られず、よくもまぁ、手術ができるなぁとぼくを感心させた堤真一扮する外科医、当麻鉄彦はどこまでもカッコがいい。アメリカの大学病院で腕を磨いてきたのに、出身大学の病院に戻らず、地方都市のみすぼらしい市民病院に赴任するところに、エリート街道から外れた“一匹オオカミ”であることを強烈に印象づける。といっても、ブラックジャックのような怪しい雰囲気はさらさらない。
 目の前で苦しむ患者を救う。医師として当たり前のことを粛々と実践していく当麻の姿がすごく精悍で、まばゆく見える。「白い巨塔」の主人公、財前五郎も凄腕の外科医だったが、すべてにおいて真逆。こんなお医者さん、ほんまにおるんかいな〜と思わせる。とかく出る杭は打たれる。よどんだ病院に風穴を開け、爽やかな空気を注ぎ込む当麻のことを快く思っていない医師たちが横ヤリを入れる。生瀬勝久が扮する野本の何といやらしいこと。まともに手術ができない分、財前五郎よりもタチが悪い。ふたりの医師の違いがあまりに極端なので違和感を覚えたが、堤真一の熱演を買って、まぁ目を瞑ろう。 
 1989年の物語。脳死を人の死と認め、脳死体から臓器を摘出できる法律が制定される前。そんな状況下、どうしても脳死肝移植でないと助からない患者が当麻の前に現れる。その手術を断行すれば、刑事事件に発展する可能性もある。さぁ、どうする!? 
 当時、ぼくは某新聞社で科学部記者として脳死・移植医療を取材していたので、とても懐かしく映像を見入った。現実には法整備の前、覚悟をもって脳死移植に踏み切った医師はいなかったが、当麻と同じ思いを抱いていた医師を何人も知っている。彼の決断こそが、医の倫理とは何なのかを突きつける。深いテーマ。たまには硬派の医療ドラマもいい。
(武部 好伸)ページトップへ
闇の列車、光の旅 (伊藤 久美子)

(C)2008 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
『闇の列車,光の旅』
〜過酷な現実を前に少女を守る、
            少年の哀しみが心を打つ〜

(2009年 アメリカ,メキシコ 1時間36分)
監督・脚本:キャリー・ジョージ・フクナガ
出演:パウリーナ・ガイタン,エドガー・フロレス,クリスティアン・フェレール,テノック・ウエルタ・メヒア,ディアナ・ガルシア

2010年6月19日(土)〜TOHOシネマズ シャンテ、夏〜シネ・リーブル梅田、秋〜京都シネマ 他全国順次ロードショー 
公式サイト⇒ http://yami-hikari.com/

 タトゥーを入れギャングとなった少年が、真っ当な人生を取り戻す術はないのだろうか。
サイラは、ホンジュラスからアメリカを目指す旅に出る。メキシコでギャングの少年カスペルに出会い、命を助けられるが、カスペルは裏切者として組織から追われることに…。

 この映画を輝かせているのは、二人の固い絆だ。カスペルを信頼し、一緒に国境を越えようと心を寄せるサイラの願いに、追っ手を待つだけと絶望の淵にあったカスペルも、サイラを無事アメリカ国境まで送り届けようと一途になる姿が切ない。
 数々の危険も厭わず、苦難を承知でなお「豊かな北」を目指す不法移民の姿が、入念な取材を基にリアルに描かれ、平気で人を殺してしまう凶暴なギャングの少年たちの恐ろしさとともに、「南」の国々の貧困による問題の根深さを伝え、圧倒される。

  カスペルの励ましの言葉を胸に、サイラが最後にみせる微笑みに、かすかな希望を見出さずにはいられない。
(伊藤 久美子)ページトップへ
闇の列車、光の旅 (河田 充規)

(C)2008 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
『闇の列車,光の旅』
〜監督の眼差し,その厳しさと穏やかさで〜

(2009年 アメリカ,メキシコ 1時間36分)
監督・脚本:キャリー・ジョージ・フクナガ
出演:パウリーナ・ガイタン,エドガー・フロレス,クリスティアン・フェレール,テノック・ウエルタ・メヒア,ディアナ・ガルシア

2010年6月19日(土)〜TOHOシネマズ シャンテ、夏〜シネ・リーブル梅田、秋〜京都シネマ 他全国順次ロードショー 
公式サイト⇒ http://yami-hikari.com/

 ホンジュラスに住んでいたサイラは,グアテマラからメキシコを経てアメリカを目指す。一方,メキシコではカスペルがギャングの一員として生きていた。メキシコで2人の人生が交差し,共にアメリカに向かうことになる。カスペルらが移民たちから金品を強奪したことがきっかけだった。その道中では,メキシコの子供らが移民を面罵して石を投げ付ける。ギャング同士の対立も熾烈で,敵対する組織のメンバーの生命は犬のエサの価値しかない。
 その中から決して単純ではないメキシコや中央アメリカの社会状況が見えてくる。中でもカスペルがギャングの仲間に引き入れたスマイリーの存在が厳しく脳裡に焼き付く。仲間になる儀式として13秒間焼きを入れられる。彼はぐったりしながら嬉しそうな笑顔を浮かべていた。同年代の少年たちにけん銃を見せびらかすシーンがある。フレームの外に同じような少年が何人もいて,彼らが皆ギャング予備軍であるという,不気味さが広がる。
 カスペルは,サイラと出会ったことで目標ができる。彼女が無事にリオ・グランデ川を渡ってアメリカに行き着くことだ。自らは,組織から追われ,死以外には逃れる術がないことを知っていた。「生きるあてがない」という彼の言葉が痛切に響く。生きる手段としてギャングになったはずだが,仲間によって恋人を奪われ,新たな希望の芽も摘み取られる。彼の右目の下には涙の形をしたタトゥーがある。人を殺めたことを示しているそうだ。
 カスペルがギャングに入った背景やサイラがアメリカに行く決意を固めた事情は,明確には示されていない。冒頭でそのエピソードに触れていたら,もっと吸引力が増しただろう。サイラには父や叔父の悲壮感や切羽詰まった状況があまり感じられない。だが,それは,占い師の予言を信じて自らの運命に身を委ねた者の強さなのかも知れない。ギャングに身を置く若者にも共通するところがある。自己を殺してしか生きられない世界が哀しい。
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ジョニー・マッド・ドッグ
ジョニー・マッド・ドッグ
『ジョニー・マッド・ドッグ』
〜内戦に巻き込まれた少年少女たちの未来は?〜

(2007年 フランス,ベルギー,リベリア 1時間33分)
監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール
出演:クリストファー・ミニー、デージ=ヴィクトリア・ヴァンディー、ダグベー・トゥエー

2010年6月19日(土)〜第七藝術劇場、順次、京都みなみ会館、元町映画館にて公開
公式サイト⇒ http://www.interfilm.co.jp/johnnymaddog/
 開巻後すぐ,銃を持った少年兵たちが村を襲っているシーンが目に飛び込んでくる。彼らが反政府軍に属していることや,戦争のために金や食料を調達しようとしていることが次第に明らかになってくる。その手段は,実に手荒で無慈悲なものだ。しかも,短いショットを重ねて手際よく描写されており,正に鬼気迫るシーンとなっている。強奪を終えた彼らが集団でカメラの方に向かって引き上げてくるシーンにかぶさる音楽もまた重苦しい。

  コンゴの作家エマニュエル・ドンガラの小説「狂犬ジョニー」を映画化するに当たり,監督は,悲痛な暴力描写から目を背けることなく忠実に映像化したという。だが,本作は,少年兵たちの容赦のない殺りくシーンだけを描いているわけではない。ジョニーと対置する形で,少女ラオコルが紛争の中を懸命に生き延びようとする姿も描いている。もっとも,この対照的に見える2人も内戦に巻き込まれた子どもという点では,全く同じ立場にある。

  舞台は,アフリカ某国というだけで特定されていない。ただ,監督は,実際の元少年兵たちをリベリアでオーディションして15人を選んだそうだ。西アフリカにあるリベリアは,1989年に政治腐敗や民族対立が主因となって内戦が勃発し,その終戦後の1997年に反乱軍を率いたチャールズ・テイラーが大統領に就任した。だが,2003年にリベリア和解民主連合(LURD)等の反政府勢力が蜂起し,同大統領は他国へ亡命し,いま再建が進められている。

  国連NY本部で本作の試写会が行われた際,監督は「元兵士を使うのは私の原則だった。この恐怖を体現できるのは彼らしかいない。」と語ったそうだ。少年隊隊長ジョニーは,さしたる理由もなく,大人や子どもを見境なく殺害し,強姦する。一番恐ろしいのは,その表情に変化がないことだ。何の感情もないまま殺人マシーンと化している。だが,彼も必要がなくなれば捨てられる運命にある。ラストで少女の両目に流れる涙が全てを集約する。

(参考資料)
1.インターネット新聞JanJanのHP
  世界>映画:大量破壊の少年たち(2008.8.2)
2.外務省のHP
  各国・地域情勢>アフリカ>リベリア共和国
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ケンタとジュンとカヨちゃんの国

(C) 2009「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」製作委員会
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』
〜この3人ならどこまでも行ける気がした〜

(2009年 日本 2時間11分)
監督:大森立嗣
出演:松田翔太、高良健吾、安藤サクラ、新井浩文、宮崎将他

2010年6月12日〜シネルーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://www.kjk-movie.jp/
 久しぶりに、邦画でこれだけ社会の底辺で生きる若者たちの怒りや反発をあらわにした作品に出会い、ドキドキしている。浮遊感や虚無感に揺れる若者像が多く描かれる中で、シビアな環境で育った青年たちの刹那的な生き方がヒリヒリするぐらい心に突き刺さる。
 小さい頃から孤児院で兄弟のように育ったケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)。彼らは解体現場でひたすらコンクリートの壁を電動ブレーカーで崩す肉体労働をしていた。ジュンは手が白くなる職業病になり、ケンタも先輩裕也(新井浩文)の執拗ないじめに遭う。選べない人生から抜け出すため、二人は裕也の愛車をハンマーで叩きつぶし、ケンタの兄(宮崎将)がいる網走に向かう。
 自分たちを受け入れてくれる存在に飢えているケンタとジュンにとって安らぎを感じる存在となったのが、ナンパで出会ったカヨちゃん(安藤サクラ)だ。都合のいい女扱いされることを承知で、それでも愛されたいと願うカヨちゃんとの旅は三人だけのユートピアのよう。母性を感じ全てを委ねるように眠るケンタとジュンの表情が印象に残る。一方、財布の中身を奪ってカヨちゃんを置き去りにする身勝手さや、必ず自分たちの居場所があると信じて、すべてをぶっ壊し地獄のような現実から抜け出した堅い決意は、観る者に危うさと切なさを感じさせるのだ。二人のどこに向けていいのか分からない憤りや心の叫びを、松田翔太と高良健吾が渾身の演技で表現している。
 デビュー作『ゲルマニウムの夜』で人間の欲望や罪を包み隠さず描いた大森立嗣監督。本作では、社会の底辺で居場所のない若者たちの旅の軌跡とその行方を、彼らの剥き出しの感情をアップで捉えながら力強く描き切っている。戻ることのない旅の果てに辿りついた北の大地で、彼らが手にしたのは生きる希望なのか、生きる苦しみなのか。光の射す方へ導かれたケンタとジュンとカヨちゃんの旅は誰もが一度は感じる衝動や願望なのかもしれない。
(江口 由美)ページトップへ
あの夏の子供たち
『あの夏の子供たち』(LE PERE DE MES ENFANTS)
〜辛くても歩み続ける、それが人生〜

(2009年 フランス 1時間50分)
(配給:クレストインターナショナル)
監督:ミア・ハンセン=ラブ
出演:キアラ・カゼッリ、ルイ=ドー・ド・ランクザン、アリス・ド・ランクザン
2010年5/29〜恵比寿ガーデンシネマ、6/12〜梅田ガーデンシネマ、6/19〜京都シネマ、順次シネリーブル神戸 にて公開
公式サイト⇒ http://www.anonatsu.jp/
 監督自身が体験した尊敬すべき映画プロデューサーの自殺というショッキングな出来事は、新しい物語の誕生へと昇華したのかもしれない。魅力的なパリの街並みや郊外の自然の中で、家族の喪失と再生を描いた感動作。

 辣腕映画プロデューサー、グレゴワールは殺人的な忙しさの中、家族との時間を大事にしていた。そんなグレゴワールに年頃の長女クレマンスは反発した態度を示す。映画制作に精力的に関わりながらも、次第に資金繰りに行き詰ってしまったグレゴワールは、追い詰められた末自殺を図る。妻のシルヴィアはグレゴワールが追い込まれる一因となった未完の作品を完成させるべく奔走するが、クレマンスたちは父のいなくなった大きな心の穴を埋められずにいた。

 本作の前半は、華々しそうに見える映画業界の内実と、グレゴワール一家の日々がドキュメンタリーであるかのようにリアルに綴られている。光眩い自然に溢れる別荘でのかけがえのない家族と過ごす安らぎの時間。対照的に多忙な映画業界の仕事で苦境に追い込まれる様が描かれ、危ういバランスの果ての衝動的な悲劇に思わず息を呑むのだ。

 一家の要であった父グレゴワールを亡くしたシルヴィアとその娘たちの悲しみを乗り越える様子は、決して感傷にばかり浸っていない。当たり前のようにあった存在の大きさに気づき、死して初めて知る父の真実と向かい合うことで成長していく娘たち。父のいない生活でもささやかな幸せを見出す母娘の姿が心に沁みる。

 ラストに流れる名曲『ケ・セラ・セラ』。「なるようになる」、このメッセージは監督から残された家族に伝えたいことのように思える。劇中に流れるグレゴワールが手掛けた様々な映画や監督たちの言葉もまた、厳しい現状でも熱意を持ち続ける全ての映画人に対するオマージュのようだ。喪失も人生の一部、心の中で生き続ける普遍的で大事なものをあらためて見つめ直したくなった。

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 パリ20区、僕たちのクラス (江口由美バージョン)
『パリ20区、僕たちのクラス』(Entre les Murs)
〜授業はライブだ!
      誰も知らない教室での先生VS生徒たち〜


(2008年 フランス 2時間8分)(配給:東京テアトル)

監督:ローラン・カンテ  
原作・出演:フランソワ・ベゴドー

2010年6月12日(土)〜岩波ホールにてロードショー
関西では、6月中旬〜テアトル梅田、近日〜京都シネマ、シネ・リーブル神戸 にて公開  
公式サイト⇒ http://class.eiga.com/cast.html
 まるでドキュメンタリーであるかのように、キャメラは職員室の教師の様子や、クラスでの授業風景を切り取っていく。授業参観では見られない「先生と生徒だけの普通の授業」で一体どんなやりとりが行われているのか。人種のるつぼのようなパリ20区の学校の教室を通じて、世界が透けて見えてくる。

 パリ20区に実在するフランソワーズ・ドルト中学校を舞台に、同中学校に在籍している学生たちや先生たちが出演し、1学年を終えるまでを描いた本作。新学期の始まりから、クラスでの授業風景が丹念に描かれている。国籍もバックグラウンドも違う生徒たちからは、授業とは関係ない質問や生徒間のいざこざが次々に勃発。それらを受け流さず、生徒が納得いくまで議論する先生の姿勢やそのやりとりは、まさにライブのような緊迫感と即興性に満ちている。
 まともに進まない授業で理屈をこねる生徒たち。そんな生徒たちの表情も、先生に誉めてもらったときには、一瞬にして嬉しそうな表情に変わる。キャメラがすかさず捉えた彼らの様々な表情はまさに本作の一番の魅力だ。日頃見落としてしまいがちな生徒たちの小さなサインが観客の胸に残る。一方で、先生に裏切られたと感じあらゆる手段で反抗を試みる生徒、先生双方の苦悩とその結論が出される過程もフランスの教育制度に忠実に描き出されている。
 正直、この教室の風景に相当驚かされた。日本の中学校の教室では、居眠りをしたり、塾の宿題をしている子はいても、ここまで先生とやりあいながら、自分を表現するような子どもたちはなかなかいないからだ。勉強が進まないという点では荒れたクラスだが、先生という存在を無視するのではなく、なんとか認めてもらいたくて皆必死で向き合っている。自身が抱える移民というバックグラウンドや言葉の不自由さを克服し、母国のアイデンティティや母国に対する誇りを主張する彼らから世界の状況が垣間見えるのだ。生々しい教育現場を映し出す本作が投げかける問いをみなさんはどう解釈するだろうか。
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 パリ20区、僕たちのクラス (伊藤久美子バージョン)
『パリ20区、僕たちのクラス』(Entre les Murs)
〜生徒達と対話を続ける教師の限りない試み〜

(2008年 フランス 2時間8分)(配給:東京テアトル)

監督:ローラン・カンテ  
原作・出演:フランソワ・ベゴドー

2010年6月12日(土)〜岩波ホールにてロードショー
関西では、6月中旬〜テアトル梅田、近日〜京都シネマ、シネ・リーブル神戸 にて公開  
公式サイト⇒ http://class.eiga.com/cast.html
 移民が多く、様々な民族の子ども達が集まる公立中学校。子ども達の言葉に真摯に耳を傾け、国語の授業を通じて、一人ひとりの個性を引き出そうと懸命な担任教師の1年を描く。実際にパリ20区の中学校に通う生徒達が演じており、ドキュメンタリーとしか思えないほど自然体の演技だ。
  何かと反抗してばかりの生徒達に、担任は自己紹介文を書くという課題を与える。生徒達の投げかけるどんな議論にも応え、真剣に意見をぶつかりあわせる場面は、緊張感にあふれ、目が離せない。生徒の無礼な態度にも理知的に向き合い、諭すように対話を続ける教師の思いがリアルに伝わり、その包容力に驚かされる。しかし、熱意は悲しくも、ときに誤解を生み、生徒の心を傷つけ、激しい反発を招いてしまう。
  学校教育の限界を描きながらも、確実に学び成長していく子ども達の姿からは、可能性と希望が感じられる。私達自身、日頃どんな言葉で他人と接し、どこまで寛容であれるのか。率直に意見を言い合う彼らの姿から教えられるものは大きい。
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 クレイジー・ハート (春岡 勇二)
『クレイジー・ハート』 (原題:Crazy Heart)
〜憧れのオッサン、ナンバーワン!〜

(2009 年 アメリカ 1時間51分)
監督:スコット・クーパー
出演:ジェフ・ブリッジス、マギー・ギレンホール、ロバート・デュヴァル、コリン・ファレル他

2010年6月12日〜TOHOシネマズ梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー
・初日イベントのお知らせ⇒こちら
・公式サイト⇒
http://movies.foxjapan.com/crazyheart/
 アメリカの広大な荒野を年季の入った一台のバンが走る映像に、ベースの効いたカントリー・ミュージックが被さる。映画が始まって10秒後、サントラを買おうともう決めていた。つまり、冒頭から目も耳も心もワシ掴みにされたわけだ。やがて、ボーリング場の駐車場に停まった車から初老の男が悪態をつきながら降りてくる。ぶよぶよの腹の下ではジーンズのフックが外れている。ボトルの中の尿を無造作に捨てる男。なんというカッコ悪さ、でも、それがカッコいいからたまらない。これがジェフ・ブリッジスなんだ。
 演じる役柄は、かつてはソングライターとしても才能があった人気カントリー・シンガーで、今は落ちぶれて地方のライブ会場を回る男。そんな男が一人の女性との出会いをきかっけに再起を図る物語。相手役は『セクレタリー』などのマギー・ギレンホール。いくつになっても瑞々しさを失わないブリッジスの演技がギレンホールと絶妙な掛け合いを生み、二人ともアカデミー賞候補となって、ブリッジスが見事にオスカーを獲得した。T・ボーン・バーネットの音楽も、ブリッジス本人の歌声も心に響く、傷を抱えた大人のためのアメリカ映画。
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 クレイジー・ハート (江口 由美)
『クレイジー・ハート』 (原題:Crazy Heart)
〜不器用で愛おしい男の生き様が心を掴む〜

(2009 年 アメリカ 1時間51分)
監督:スコット・クーパー
出演:ジェフ・ブリッジス、マギー・ギレンホール、ロバート・デュヴァル、コリン・ファレル他

2010年6月12日〜TOHOシネマズ梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー
・初日イベントのお知らせ⇒こちら
・公式サイト⇒
http://movies.foxjapan.com/crazyheart/
 見渡す限りの地平線、アメ車で場末のボーリング場に向かい、男は往年のヒット曲、カントリーソングを歌う。アメリカ人でなくても、映画ファンならばこのようなシーンをスクリーンで垣間見たのではないだろうか。アメリカの原風景をたっぷりと盛り込んだヒューマンドラマ、孤独のどん底を見た男の姿がなんとも魅力的だ。
 ジェフ・ブリッジス演じる主人公のバッド・ブレイクは往年の名カントリーシンガー。栄光の日々も今は昔、現在は田舎から田舎へと地方巡業の日々で相棒は酒とアメ車とギターだけ。アルコール依存症でステージ上から抜け出すことも度々だ。そんなバッドを変えるきっかけとなったのはマギー・ギレンホール演じる女性記者ジーンとの出会い。シングルマザーで息子のことを一番に考えるジーンや、ジーンの息子バディとの触れ合いが、落ちぶれ、孤独な日々を過ごしていたバッドを変えていく。
 愛弟子トミーとの関係や、20年来会っていない息子との関係、そして新しい曲を書くことなど、今まで逃げてきたことに少しずつ向き合いはじめるバッドや、同じ失敗を犯すまいと恋に落ちても自分を見失わず、子どもを守る母性を見せたジーン。不器用だけど一生懸命生きる二人の姿はとても魅力的で、また辛く切ない一面も覗かせる。
 何度も盛り込まれるバンドライブやコンサートシーンから、アメリカの心の歌、カントリーソングの魅力が存分に伝わってくる。コンディションのいい演奏も悪い演奏もセリフ以上に雄弁にバッドの生の姿を映し出すのだ。表舞台から退いても、周りに支えられながら音楽を信じて歌い続けてきたバッドが切り開こうとする新しい道を見届けてほしい。
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 こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!
こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!
〜こまどり姉妹の波乱の人生は日本の戦後〜  

(2009年 日本 1時間11分)
監督:片岡英子
出演:こまどり姉妹(長内栄子、長内敏子)
2010年6月19日〜第七藝術劇場ほかにて順次公開

公式サイト⇒ http://www.komadorishimai.com/
★こまどり姉妹が5月31日(月)、大阪・十三にやって来た!

 話題の映画「こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」は60〜70年代にザ・ピーナッツとともに一世を風靡した双子歌手(長内栄子、長内敏子)の半生を追った“歌と涙と笑い”のドキュメンタリー。タイトルは「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」(原題「ア・ハード・デイズ・ナイト」)のもじりだが、昨年のキネマ旬報誌で文化映画部門の7位にランクされた。姉妹の極貧生活からスタートし数々の苦難を経て今なお元気に地方(どさ)回りをする壮絶な生きざまにいつしか共感してしまった。





 冒頭「歌が好きで歌手になったんじゃない」という姉妹の言葉が映画のテーマを見事に表している。一家が食べていくために歌を歌うしかなかった…2人は1938年(昭13)、北海道・釧路の炭鉱町生まれ。終戦まで樺太にいたという生い立ちから日本の苦境を体現していた。

  戦後は東京・山谷に住み、食うや食わずの極貧生活。浅草の飲食店で「流し」を始め、才能を認められ始める。1959年にコロムビアから「浅草姉妹」としてデビュー。公募で「こまどり姉妹」に名を改め、NHK紅白歌合戦に1961年から7年連続で出場するなど、苦労はようやく報われた、かに思われた。だが、姉妹の苦難はそこからが本番だった。

 1966年、妹・敏子がステージ上でファンに刃物で刺され重傷。5年後には敏子が末期がんの宣告を受けた。なんという過酷な人生。栄子ひとりで舞台に立ち続け、1983年に病から奇跡的に復帰した敏子とともに「こまどり姉妹」復活。以後、70歳を超えた今でも全国各地を飛び回っている。 厚化粧に自虐ギャグを飛ばし、それでも客席に降りて客と握手して回る姿はほほ笑ましい。

  「三味線姉妹」や「ソーラン渡り鳥」などのヒット曲にいざなわれて、姉妹の壮烈な人生との戦いが浮かび上がる。単なるスターの栄光と挫折の物語ではない。それはそのまま多くの人が経験した日本の戦後にほかならない。 

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 マイ・ブラザー

(C) 2009 Brothers Production, LLC. All Rights Reserved.
『マイ・ブラザー』
〜似て非なるもの,オリジナルとリメーク〜

(2009年 アメリカ 1時間45分)
監督:ジム・シェリダン
出演:トビー・マグワイア,ジェイク・ギレンホール,ナタリー・ポートマン,サム・シェパード,メア・ウィニンガム,ベイリー・マディソン,テイラー・ギア,キャリー・マリガン

2010年6月4日(金)より TOHOシネマズみゆき座他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://my-brother.gaga.ne.jp/

 スサンネ・ビア監督作品『ある愛の風景』(デンマーク・2004)のアメリカ版だ。オリジナル版では,監督の眼が夫婦の心の深奥に入り込み,その情景がカメラを通してスクリーンに投影されていた。本作は,その題名のとおり,夫婦よりも兄弟に重点を移そうとしたようだ。また,監督は,あくまでも観察者の立場を貫き,登場人物が表出する内面の動きを追い掛ける。俳優たちが表現の主体となって登場人物の心をフィルムに記録していく。
 兄サムが仮釈放で出所する弟トミーを一人で迎えに行くシーンから始まる。心が通じ合う兄弟の姿を通して本作の基調を示そうとしたようだ。トミーに好意を示す人物はサムだけだった。父ハンクは,サムは海兵隊員として国家に貢献しているが,トミーが死んでも悔やむ人はいないと言い放つ。サムの妻グレースは,いつも飲んでケンカばかりしているトミーが嫌いだったと打ち明ける。だが,兄弟の絆に焦点が絞り切れていない憾みがある。
 サムの訃報を受け取ったグレースやトミーの様子と交互に,アフガニスタンで捕虜となったサムの体験が描かれる。彼は,強制されたとはいえ,妻子と再び会うために仲間を殺してしまう。妻子の許に戻った後も,罪悪感に苛まれ,トミーがグレースと関係を持ったと疑い,おそらく無意識のうちにトミーを許すことによって自分自身の罪を軽減しようとする。トミーはサムを見守るだけだが,グレースはサムに閉ざされた心の扉を開けさせる。
 オリジナル版は家族とりわけ夫婦の絆に焦点を当てており,本作もラストシーンに大きな改変を加えていない。そのため,焦点がぶれてしまったのは残念だ。とはいえ,トミーとグレースの心の触れ合いの描き方は実にアメリカ的だ。サムが家庭より戦場を懐かしく感じ,また捕虜になったときに我々の国家を侵略するなと言われるのは,現在のアメリカが抱える問題を反映しているようだ。ここに社会や文化の違いが表れているようで面白い。
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 ザ・ウォーカー (江口 由美)

(C) 2009 ALCON FILM FUND, LLC
『ザ・ウォーカー』 (THE BOOK OF ELI)
〜サバイバルな旅路の果てに辿りつく聖地を見よ!〜

(2010年 アメリカ 1時間58分)
監督:アルバート&アレン・ヒューズ
出演:デンゼル・ワシントン,ゲイリー・オールドマン,ミラ・クニス,レイ・スティーヴンソン,ジェニファー・ビールス,エヴァン・ジョーンズ,ジョー・ピング,フランシス・デ・ラ・トゥーア,トム・ウェイツ

2010年6月19日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://www.thewalker.jp/
 舞台は、戦争のため壊滅的な打撃を受けた近未来。世界にたった一つしかない本を西へ運ぶ謎めいた男と、彼に待ち受ける過酷な運命を描くサバイバルアクションが誕生した。

  朽ち果てた荒野を30年間一人で西に向かい続ける男、ウォーカー(デンゼル・ワシントン)は剣一つで一瞬のうちに相手を倒す腕前を持ち、誘惑に屈することなく絶対の使命を帯びている人間の強さを見せる。一方、ウォーカーの持つ本を狙う独裁者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)は、文明崩壊後の世界を支配する欲に囚われた男だ。一冊の本を巡る二人の闘いから、人間の良心と邪心との葛藤に通じるものが垣間見える。
 少しずつ明かされていく謎と、危険に満ちた旅の果てには、“聖地”が待ち受けている。ヒューズ兄弟が作り上げた壮大な世紀末の世界観の中、寡黙な鉄人が人生を懸けて届けたもの、それは全てを失った人類に良心と希望を与える再生への原動力なのだ。
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 ザ・ウォーカー (河田 充規)

(C) 2009 ALCON FILM FUND, LLC
『ザ・ウォーカー』 (THE BOOK OF ELI)
〜人類の新たな歴史は“西”から始まる!〜

(2010年 アメリカ 1時間58分)
監督:アルバート&アレン・ヒューズ
出演:デンゼル・ワシントン,ゲイリー・オールドマン,ミラ・クニス,レイ・スティーヴンソン,ジェニファー・ビールス,エヴァン・ジョーンズ,ジョー・ピング,フランシス・デ・ラ・トゥーア,トム・ウェイツ

2010年6月19日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://www.thewalker.jp/
 ウォーカー(旅する者)ことイーライは,ひたすら西に向かって歩き続ける。1冊の本を大切そうに持ち歩き,しょっちゅう読んでいる。しかも,この男は滅法強い。本を守るためには邪魔者を容赦なく斬り捨てる。それは,絶望に瀕した人々を導くものであると同時に,使い方によっては人々を支配する道具となり得るものだった。だから,それを欲しがる男もいる。カーネギーは,絶対的な権力を手に入れるため,その本を探し求めていた。

(C) 2010 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
 彼は,きれいな水を支配することにより,町の人々の上に君臨していた。だが,イーライが彼の町に来たことで,独裁者の地位から転落していく。怪我をした彼の足は悪臭を放ち始める。虐げてきた盲目の女性クローディアに逆襲される。カーネギーは,目が見えるからこそ本が読めず,目の見えないクローディアの前に屈服するしかない。物事は目で見ると歪んでしまう。だから,心で見なければならない。水も心も澄んでいないといけない。
 人類が営々と築き上げてきた文明は30年前に滅んだという。それにはイーライの本も関係していたようだ。人々は,終末後の世界を生きている。荒廃した近未来の映像は,モノクロームのようで色彩を失っている。人々の心も荒廃しているようだ。イーライでさえ,「人のために尽くせ」という教えを忘れている。襲われている人を助けようと思えば助けられた場面で,敢えて目を背けてしまう。如何に使命のためとはいえ,しっくりとしない。
  それにしても,イーライはいったい何者なのか。彼は,ストイックに歩き続ける。その姿は,時には崇高でさえある。彼は,ジャンヌ・ダルクのように神の啓示を聞いたのだろう。神に導かれるまま本を運んでいる。だからこそ,銃で撃たれてもなお歩き続ける。頭では理解できなくても,彼の心は“西”の世界に差し込む希望の光を感じていたに違いない。神によりリセットされた人類が再び歩み始めるためには,彼の運ぶ言葉が必要だった。
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 シーサイドモーテル

(C)2010『シーサイドモーテル』製作委員会
配給:アスミック・エース
『シーサイドモーテル』
〜騙されてワンダーランド,もう抜け出せない〜

(2010年 日本 1時間43分)
監督:守屋健太郎
出演:生田斗真,麻生久美子,山田孝之,玉山鉄二,成海璃子,古田新太,温水洋一,小島聖,池田鉄洋,柄本時生,山崎真実

2010年6月5日(土)〜新宿ピカデリーほか全国ロードショー
関西では、梅田ガーデンシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、シネ・リーブル神戸他

・取材記事⇒ こちら
・公式サイト⇒
 http://seaside-motel.net/
 シーサイドと言っても海辺ではなく山奥にある。山奥と言ってもピザや女の子のデリバリーはしてもらえる。女の子と言っても三十路前だ。ニセモノの愛を売るキャンディ(麻生久美子)が間違って訪ねた部屋にはインチキ美容クリームのセールスマン(生田斗真)がいた。2人の化かし合いが始まるが,さすがは年の功である。当然のこととはいえ,キャンディに軍配が上がる。観客をも眩ます彼女は自分自身をも欺いていたのかも知れない。
  この103号室の2人を主軸に合計4室での出来事が並行して描かれる。203号室にはスーパーの社長(古田新太)がいた。EDで悩む彼は妻の美咲(小島聖)に隠れて女の子を呼ぼうとしていた。だが,美咲の方がウソにかけては一枚上手だった。彼女に艶っぽくメイクされた社長の置かれた立場が滑稽でもの悲しい。古田新太の醸し出すカワイイ情けなさが活かされて,軽妙な味わいがある。人生ってこんなものさ,とうそぶくしかない。
  202号室では借金まみれの男と取立屋との間で金と命のやり取りが展開し,102号室では男がキャバクラ嬢をモノにしようと悪戦苦闘する。ウソでコーディネートされた4つのショートストーリーがそれぞれユニークで,オムニバスの面白さがある。これらが絡み合いながら収れんしていくというダイナミックさには欠けるものの,周辺部で少しずつ影響を及ぼし合って程良い接着剤の役割を果たしている。細部にもこだわりが感じられる。
  バス停の名前は「ARUTOKO」,車のナンバーはアルファベット2文字と4つの数字。場所や時間が限定されず,ここではないどこか,今ではないいつか,という時空間が形成される。一枚の写真が極め付けだ。夕暮れ,ビーチに並んで座って海を見詰めている2人の背中がロングで写されている。その2人の正体が明らかになったとき,この映画全体が,永遠に上り続けなければならない階段の絵のように,だまし絵の様相を帯びてくる。
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