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★ 大阪アジアン映画祭2009 上映作品紹介
ゴーン・ショッピング
『ゴーン・ショッピング』
〜孤独な心が求めていたのは
       house(家)ではなく、home(家庭)。〜


監督:ウィー・リーリン
出演:ジン・ファン、アイルン・ガオ、スオニーヤ・ナァア、アイダーリアン・パン
 あなたは買い物好きですか?たくさんの商品を見て、うきたった気分になったことはありませんか?豊富な食料品、華やかなブランド品、さまざまな日用雑貨など何でもそろうショッピングモールは人々の欲求を満たし、幸せな気分にしてくれる。この映画「ゴーン・ショッピング」は、シンガポールの巨大ショッピングモールにいる3人を中心に展開していく。
 クララ(キム・ウン)は幼いころから、ショッピングが大好きだった。成長して、裕福な男性と結婚して、お金を自由に使えるようになった。最新のフャッションに身を包んで優雅に歩く彼女は、とても美しく、誰もが羨むほどだ。

 そんな彼女をねたましそうに見つめ、友達と話をする若者、アーロン。毎日、家族と一緒に食事をするが、目も合わさず、会話もない。初めての恋もうまくいかなくなってしまった。
 そして、買い物の途中に親とはぐれてしまい、置き去りにされた8歳のインド系の少女、レヌ。商品の片隅に身を隠したり、食料品をこっそり食べたりして生きていた。

 年齢も生活環境も異なる彼らだが、彼らにはそれぞれに居場所がない。クララには豪華なマンションがあり、アーロンには家があった。でも、彼らが求めていたのは、house(家)ではなく、home(家庭)。心のよりどころを求めていたのではないか。そして、「家に帰りたい」と泣いていたレヌ。家族が迎えに来てくれるのを待っていた。場内放送で家族に呼びかけるシーンは、そんな彼女の切ない痛みが伝わってくる。映画のメインキャラクターはクララだが、レヌやアーロンやその友達、女装をした怪しげな人物、警備員などの描き方がとても細やかで興味深い。彼らには、他民族の人たちが生きるシンガポールの今を感じさせてくれる魅力がある。

  豊かな物にあふれた生活は、どの国の人でも憧れ、目指してきた。だが、本当の豊かさとは何なのか、もう一度考えてみたくなった。
(浅倉 志歩)ページトップへ
空を飛びたい盲目のブタ
『空を飛びたい盲目のブタ』
〜現実と寓話の境界で編み上げたインドネシア社会の現状〜

(2008年 インドネシア 77分)
監督・脚本:エドウィン
出演:ラディア・シェリル、ジョコ・アンワール、カルロ・ゲンタ、ポン・ハルジャトモ、アンドーラ・アーリー ほか
・2009年 第38回ロッテルダム国際映画祭 国際批評家連盟賞受賞
・2008年 第13回釜山国際映画祭 New Currents(新しい流れ)部門 正式上映作品(ワールド・プレミア上映)
・大阪アジアン映画祭2009にて上映(日本プレミア上映)

 英題もそのまま『Blind Pig Who Wants to Fly』。なんとも妙なタイトルである。ただ、似たようなタイトルの作品はこれまでにもあった。『豚が飛ぶとき』(1993・アメリカ)と『亀も空を飛ぶ』(2004・イラク)だ。いずれも飛ばない動物であるのに、“飛ぶ”とあるが、豚や亀を描いた作品ではない。どちらも人間を描いた映画だ、それも“アイデンティティ”を巡る映画である。豚や亀が持つ“ノロマ”“不器用”といったイメージを人間に投影しているのだ。暗喩(メタファー)である。このことから、本作も同種の作品だろうと予想したが、果たしてその読みは見事に的中した。
  開巻はインドネシア・チームと中国チームによる女子バドミントンの試合シーン。ほどなく、観戦していた少年が叫ぶ。「どっちがインドネシアかわからない!」と。この瞬間、インドネシア・チームの選手一人が引退を決意する。
以降、唐突に切り替わるザッピング的な編集に乗せて、個性的な人物が続々と登場する。“サンドイッチに爆竹花火を挟んで食べる”という奇癖を持つ中国系の少女リンダ。サングラスをかけ、熱唱しながら治療を行う盲目の歯科医。歯科医の患者であるゲイ・カップル。テレビ局で働く日本びいきの少年などなど。
 一見すると各キャラクターの登場が脈絡のないものに思えるが、よく見ると、彼らが互いに連鎖的な人間関係で繋がっていることがわかる。これが横糸だ。そしてこの時、観客は既に、主要な登場人物全員がインドネシアにおけるマイノリティであることにも気付いているはずだ。これが縦糸である。

  すると、キリスト教徒向けのテレビ番組や同性愛者に対する非難、改宗してムスリム(イスラム教徒)になろうとしている歯科医の真意など、全編を彩るキーワードを縦糸と横糸が繋ぎ止めつつ編み込んでいく。編み上がるのは、インドネシアにおけるマイノリティ差別の現状だ。
 途中で、“猛風吹き荒ぶ荒地で、盲目の豚がロープに繋がれたまま放置されている光景”が象徴的に挿入される。言うまでも鳴く、この豚は先述したマイノリティの象徴だ。あまりにもタイトル通りのイメージ映像に、些かのあざとさは感じたものの、切実で勇気のある問題提起には敬意を表したい。
 監督のエドウィンは、中国系インドネシア人=華僑である。登場人物は実在しないが、ここに描かれた差別は自身が肌で知るものばかり。ファンタジックなイメージ映像であるのに、切実さを感じるのはそのためだ。尚、インドネシアにおいて、中国系人口の占める割合は全体の6%であるらしい。

  エドウィンは、初長編である本作で、ロッテルダム国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞した。荒削りな部分もあるが、確かに才気に溢れた一作だ。
(喜多 匡希)ページトップへ
エドウィン短編集
『エドウィン短編集』
〜現在、最も注目すべき逸材エドウィン監督の短編集〜
(2002〜2008年 インドネシア 43分)
監督:エドウィン
<製作順>
1.『ゆっくりな朝食』(2003年/6分)
2.『犬と結婚した女』(2004年/7分)
3.『木の娘・カラ』(2005年/7分)
4.『とても退屈な会話』(2006年/9分)
5.『傷にまつわる話』(2007年/6分)
6.『フラフープ・サウンディング』(2008年/7分)
※アジアン・ミーティング2009@シネ・ヌーヴォにて上映
  映画祭は、映画人や作品を競争させるために存在しているのではない。“知られざる作品や作家の発掘・紹介”も、映画祭の大きな役割の一つだ。例えば、90年代に日本で巻き起こったイラン映画ブームやマサラ映画(インド娯楽映画)ブームも、国内外の映画祭で話題となったことがきっかけで生じたものだ。
 では、目下のところ、最も注目すべき逸材は誰かというと、インドネシアの新進監督エドウィンを推したい。本年1月に開催された第38回ロッテルダム国際映画祭に長編処女作『空を飛びたい盲目のブタ』(2008年)を出品し、見事、国際批評家連盟賞に輝いた俊英だ。

   このエドウィン。決してポっと出のラッキー・マンではない。日本ではほとんど無名だが、2003年頃から短編映画の世界で注目され、ヨーロッパを中心に高く評価されている。今年のロッテルダムでは、もう一つの最新作『フラフープ・サウンディング』を短編部門に出品しており、長編・短編両部門への参加という快挙を成し遂げていたほどだ。そんなエドウィンに目をつけ、日本に紹介したのが今回の大阪アジアン映画祭。しかも、受賞作のみならず、2003〜2008年にかけて発表した6本の短編群を『エドウィン短編集』として上映してくれたのだから嬉しい。製作年度順に御紹介しよう。

   『ゆっくりとした朝食』は、インドネシア版『コーヒー&シガレッツ』といった趣の一編。接写+仰角+スローモーションを駆使した独特の映像が印象的。音楽に合わせてテンポを変える編集がまるでダンスのようだ。湿度の高いジリジリとしたインドネシアの朝。そこに漂う不穏な空気。忍び寄るバイオレンスの影が情感を高める。次の『犬と結婚した女』は、一転して映画史への憧憬が薫り立つモノクロ&サイレント仕立ての実験作。ドイツ表現主義を連想させるセットが秀逸。エドウィンは往年のヨーロッパ映画をこよなく愛しているのではないか? 
 続くは筆者のイチオシである『木の娘・カラ』。実はこの作品、2005年に開催されたアンチ・アメリカ主義短編映画特集「アメリカン・トラウマ」において、既に日本公開済。当時のタイトルは『カラ〜木の子供/報復のマクドナルド』。のどかな山間にポツンと佇む一軒家の中で、臨月を迎えた妊婦が出産に挑んでいる。出産シーンは直接描かれず、その家を定点から捉えたタルコフスキー風のロングショットに妊婦の苦しげな声が重なり、数分が経過。そこに突如ロナルド・マクドナルド人形が降ってくる!! そう、ハンバーガーで有名なマクドナルドのマスコット・キャラクターだ。人形の直撃を受けた妊婦は即死。
 寓話的かつ衝撃的な、あまりにぶっ飛んだ展開にド肝を抜かれること間違いなしである。出産は無事に済んでおり、産まれた赤ん坊はカラと名付けられるが、直後に父が失踪。時は流れ、舞台は現代インドネシアの都市部に移る。少女となったカラは、マクドナルドに仇敵ロナルド人形を発見し、しゃにむに殴りかかる…… 恐らく、母を殺したのは失踪した父親なのだろう。その背景には、急速に進むインドネシアの近代化を牽引する資本主義国家アメリカの存在がある。痛烈な主義主張をそのまま叩きつけるのではなく、ファンタジックな味付けを施し、風刺として描いたあたり、実に上手い!
 『とても退屈な会話』は、電球が明滅する室内を舞台とした青年と中年女性の密室会話劇。会話そのものは確かに退屈なものだが、頻繁に点いたり消えたりする電球と言えば、2007年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール大賞に輝いた『4ヶ月、3週と2日』が記憶に残っているが、本作でも負けず劣らずの効果を上げている。緊張感を持続させるだけでなく、電力供給の不安定さを通して社会状況が見えてくるという寸法だ。台詞や字幕に頼らない語り方に、映像の力を信じるエドウィンの信念が表れている。
 お次は、バスの車内で出会った若き男女を描いた『傷にまつわる話』。隣の青年にふと話しかける若き女性。会話が進むにつれ、そこに色香が漂いはじめる。青年の手が、女性の膝を撫で、スカートに触れ…… ウォン・カーウァイ作品にも通じるフェティシズムは、映す・映さないの狭間で濃厚に艶がかる。ただし、特に優れた作品とは思えない。
 最新作『フラフープ・サウンディング』。意思を持ったように赤いフラフープが自ら動き出す序盤には、フランスの映像詩人アルベール・ラモリスが遺した大傑作『赤い風船』を連想して相当にワクワクしたが、以後、人間同士の物語が綴られて困惑した。あのシーンは一体何だったのだろうか……? 後半はどこかコーエン兄弟風に。そういえば、コーエン兄弟も『未来は今』でフラフープを扱っていたっけ。フラフープを回す腰の動きを活かしたベッドシーンが健全な笑いを誘い、面白い。その他、画面の作り込みなど、気を惹かれる部分も多いだけに、まとまりのない構成がつくづく悔やまれる。

 6作品の全てが傑作というわけではないが、どの作品にも才気が漲っており、見ていて飽きることはない。エドウィンの作品が日本の映画館で公開される日もそう遠いことではないだろう。この機会に、その名を覚えておいて損はない。
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チョコレート・ファイター
『チョコレート・ファイター』
〜映画史上最強のアクション・ヒロイン誕生!!〜

(2008年 タイ 1時間33分 配給:東北新社)
監督・製作:プラッチャヤー・ピンゲーオ
アクション監督:パンナー・リットグライ
出演:“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン、阿部寛、ボンパット・ワチラバンジョン ほか

【大阪アジアン映画祭2009 オープニング作品】
3月13日(金) 18:30開演@ABCホール(朝日放送新社屋内)
※オープニングイベント&プラッチャヤー・ピンゲーオ監督の舞台挨拶あり
5月23日(土)〜 なんばパークスシネマ ほかにて全国ロードショー

(C)2008 sahamongkolfilm international all rights reserved. designed by puninternational
公式サイト→
 本作が映画デビュー作となる、“ジージャー”ことヤーニン・ウィサミタナンはとにかく凄い! 強い!! 60年代に“女剣戟の女王”と呼ばれたチェン・ペイペイも、70年代に一世を風靡した『女活殺拳』のアンジェラ・マオも、『女必殺拳』シリーズの志穂美悦子も、誰一人として彼女には敵わない。ミシェル・ヨー? アンジェリーナ・ジョリー? フン! おととい来やがれっ!! 
 1984年生まれのヤーニン・ウィサミタナンは11歳でテコンドーを始め、高校在学中の1996年にはバンコク・ユース・テコンドー大会で金メダルを獲得するまでになった。そんな彼女を見出したのは、『マッハ!』(2003)、『トム・ヤム・クン!』(2005)で世界中のアクション映画ファンを狂喜の渦に叩き込んだ名コンビ:プラッチャヤー・ピンゲーオ&パンナー・リットグライ。2人は、彼女を育て上げるため、4年間にも及ぶ過酷なトレーニングを課した。その間、ウィサミタナンは、テコンドーだけでなく、タイの国技であるムエタイ(タイ式ボクシング)やマーシャルアーツも体得。もちろん、初体験となる演技についてもみっちりと鍛え上げられ、肉体・精神の両面で飛躍的な成長を遂げたのである。更に、撮影に2年間を要し、足掛け6年に及ぶプロジェクトが結実。ここに映画史上最強のアクション・ヒロイン=“ジージャー”が誕生したのである!
 “ジージャー”が演じるのは、タイ・マフィアのボス“ナンバー8”(←小室哲也似)の愛人であったジンと日本人ヤクザの大物・マサシの間に生まれた少女ゼン(禅)。マサシは帰国し、ジンは一人でゼンを出産。自閉症を患うゼンだが、母の愛情を目一杯受けてすくすくと成長した。そんなゼンには、その目で見た動きを瞬時の内に我が物としてしまう特殊能力の持ち主だった。アクション映画のビデオを観るだけで、まったく同じ怒涛のアクションを繰り広げることができるのだ。そんなある日、ジンが末期の白血病に冒されていることが発覚。ゼンは、幼なじみのムンと共に治療費のために奔走するが、その最中にジンとムンが“ナンバー8”に捕えられてしまう。ゼンは単身、“ナンバー8”のアジトに向かう!
  プラッチャヤー・ピンゲーオ作品のトレードマークである、“CGなし!+ワイヤーなし!+スタントなし!”の“痛みの伝わるアクション”は本作でも健在……いや、それどころか数十倍にパワーアップしている! こんな生身のアクション、見たことないっ!! 『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971)、『プロジェクトA』(1984)、『キル・ビル』(2003)のパロディやオマージュが炸裂する中、明らかにその上を行く超絶アクションに口元がアングリと開きっぱなしになってしまうことうけあいである。正直なところ、前半30分のダラダラとしたドラマ展開はちとつらいが、そこさえ過ぎれば後はジェットコースターばりの面白さだ。ヒジ&ヒザの使い方など、ムエタイ王国タイならではのもの。格闘技ファンも唸る本物のアクションがここにある。特に、ビルの外壁を使って繰り広げられるクライマックスは圧巻だ!
【喜多匡希の映画豆知識:『チョコレート・ファイター』】
ゼンの父であるマサシを演じるのは我らが阿部ちゃんこと阿部寛。愛するジンとまだ見ぬ愛娘ゼンを救うため、海を越えて“ナンバー8”のアジトに殴りこみをかける姿に痺れるが、日本刀を駆使したアクションの素晴らしさには、更に痺れる! 公称189p(実際は190p超!)の長身に刀が似合うことは、数あるNHK大河ドラマや、『大帝の剣』(2006)、『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(2008)など、時代劇出演が多いことでも明らか。そんな阿部ちゃんは、1994年から実際に古武術に勤しんでいるとか。
タイ映画の歴史は古い。フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフの初上映は1895年12月だが、僅か1年半後の1897年6月にタイ国内で上映されている。そんなタイで、初めて常設の映画館が営業を開始したのが1905年。なんと経営者は日本人であった。そのため、タイでは映画のことを長らく“ナン・イーブン(日本のスクリーン劇)”と呼んでいたそう。その割にタイ映画は、映画祭上映を除いて、日本ではほとんど公開されなかった。初めて日本でタイ映画が商業公開されたのは1995年。チュート・ソンスィー監督の社会派ドラマ『ムアンとリット』(1994)である。タイ産娯楽映画の日本公開は2000年のペンエーグ・ラッタナルアーン監督『6IXTYNIN9 シックスティナイン』(1999)まで待たねばならなかった。
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ムアラフ
『ムアラフ−改心』
〜ヤスミン・アハマド監督について〜

The Convert
(2007年 マレーシア 1時間27分)
監督:ヤスミン・アハマド
出演:ブライアン・ヤップ、トニー・サバリムトゥ、シャリファ・アマニ、サイド・ザイナル・ラシッド
 2007年秋の大阪アジアン映画祭。「プラネット+1」という小さな映画館でヤスミン・アハマド監督の特集上映が行われた。何気なく観に行って、その凄さに圧倒された。詩情豊かで美しい映像世界にすっかりひきこまれ、繰り返し観に行っては、仲間達と熱く語り合った。
 無駄な説明がなく、省略の仕方もみごとな語り口。監督は、自分の描きたい世界を観客により深く伝えるために、詩人が言葉を選ぶように、テーマの核心に迫るシーンを選び、淡々と紡いでゆく。
 主人公に、具体的に何が起こったのかはっきりとは描かれず、曖昧であっても、その表情、雰囲気から、どんな感じのことが起こったのか、想像することができる。物語に余白があればあるほど、観客は自分の側にひきつけることができ、自分の両親のことを思い出したり、身近な人への愛情、思いやり、優しさについて考えたりする。
 主人公たちの運命が、たとえ残酷で悲しいものであっても、家族や恋人らが寄り添い、励ましあって、困難を乗り越えていく姿からは、人間の強さと尊さが伝わり、圧倒される。監督が現実を見つめるまなざしは、どこか冷徹で、厳しく、超越的だ。
ヤスミン・アハマド監督は、CM業界で長く活躍し、2003年に監督デビュー。2007年来阪時のシンポジウムで、映画をどうやってつくるのかはよくわからない、両親を元気づけようと思ってつくった、と発言された。そんな謙虚でありながら、こんなに詩情豊かで、誰の心をも柔らかく暖かく溶かしてしまう世界を生み出してしまうのだから、凄い。

  そんな監督の最新作がこのたび3月16日に上映されるという。若い姉妹と青年教師の出会いを軸に、宗教や信仰をめぐるテーマに踏み込んだ作品とのこと。監督は、家族の間の情の機微を描くことにかけては抜群の腕。ぜひ劇場に駆けつけてその目で確かめてほしい。
(伊藤 久美子)ページトップへ
100
『100』
〜人生の喜びを求め、探し続けジョイスの生き方〜

(2008年 フィリピン 1時間57分)
監督・脚本:クリス・マルティネス
出演:マイリーン・ディソン、ユージン・ドミンゴ、テシー・トマス
大阪アジアン映画祭3月15日(日)午後6時40分から(日本初上映)

…来日ゲスト:クリス・マルティネス監督、ユージン・ドミンゴ(親友ルビー役)(予定)…
 数年前『死ぬ前にしたい10のこと』(2003年公開、カナダ・スペイン、イザベル・コイシェ監督)が日本で静かなヒットを呼び、多くの女性の共感を呼んだ。本作は、インドネシア版『死ぬまでにしたい100のこと』といえるだろう。
 100なんて欲張りと思うことなかれ。主人公ジョイスは独身のキャリアウーマン。がんで余命数か月と知る。やるべきこと、やりたいことは山ほどある。まずは身辺整理に始まり、食べたかったもの、したかったことをメモに書き出し、一人であるいは親友のルビーと一緒に次々と挑戦していく。
 死に直面して、ジョイスの貪欲で行動的な姿は、自分の気持ちに正直で、観ていてすっきりした気持ちになった。大好きなケーキや食べ物を豪快に頬張るシーンも印象的。生きることにこだわり、人生の喜びを探し、求め続けたジョイスの生き方は、観る者に、果敢にチャレンジし、人生を謳歌する勇気を与えてくれる。
 ジョイスの母や姉、甥っ子らが、悲しみつつも、限りある時間を楽しく一緒に過ごそうとする姿が、ユーモアを交えて描かれる。母がジョイスにしてほしいこと、甥っ子がジョイスと一緒にしたいこと、それぞれの思い、愛が伝わり、優しさと暖かさがあふれだす。
 死期を目前にして、澄んだ美しい湖水のほとりに立った時、人は一体どんな自分の姿を水面に映し出したいと願うのだろう。自分のため、人のために、今まで何をしてこれたのか。湖を見下ろし、たたずむジョイスを包みこむ静謐な世界の中で、ジョイスの穏やかな表情がいつまでも心に残っている。
(伊藤 久美子)ページトップへ

 

 
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