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『サラの鍵』ジル・パケ=ブレネール監督インタビュー
『サラの鍵』 (Sara’s Key)
ジル・パケ=ブレネール監督インタビュー


(2010年 フランス 1時間51分)
監督・脚本:ジル・パケ=プレネール
原作者:タチアナ・ド・ロネ著「サラの鍵」(新潮クレスト・ブックス刊)
出演:クリスティン・スコット・トーマス,メリュジーヌ・マヤンス,
ニエル・アレストリュプ,フレデリック・ピエロ,エイダン・クイン

2011年 12月17日 銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館他 全国順次ロードショー
関西では、2012年1月21日(土)〜シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 にて公開

・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒ http://www.sara.gaga.ne.jp/
第23回東京国際映画祭監督賞/観客賞W受賞!
「映画では大人になったサラに具体的な姿を与えるということが、私にとって非常に重要なことでした──」

2011年10月11日、『サラの鍵』の日本公開プロモーションで来日されたジル・パケ=ブレネール監督に、お話しを伺いました。

Q 小説「サラの鍵」を読み始めて、すぐに映画化したいと思われたそうですね。結末を読む前に、そう思われた理由を教えてください。
A 冒頭部分を読んで、すぐに引きこまれましたので、これは一刻も早く映画化権を取らないと、誰かに先を越されるんじゃないかという恐怖心にかられて(笑)、映画化権がどうなっているのかを慌てて調べたのは事実です。さらに読み進めるうちに、この小説のテーマと、監督として自分が今撮りたいものに、非常に通じるものがあると感じました。これまで、いろんなジャンルの映画を撮ってきました。娯楽大作もあれば、とても個性の強い万人には受けないような作品もあります。ちょうどこの小説と出会ったときは、多くの人に観てもらえて、なおかつ人間の本質的なことを描いている映画を撮りたいと思っていました。この小説なら、歴史的なことも学べるし、独自の世界観もあるし、映画にするには格好の素材です。今振り返ると、この小説に出会えたことは、本当に神様からのプレゼントのようですね。すごくラッキーなことでした。と言うのも、のちにこの小説は大変なベストセラーとなりましたから、ひょっとしたら映画化権を取れなかったということもあり得たわけです。やはり一人の映画監督として、こういう素晴らしい題材があって、それを映画化できるというチャンスがあったら、みすみす逃すことはできません。

それに加えて、個人的な理由もありました。私の一族には、ホロコーストで亡くなった人たちがいますので、そういう意味で、この問題について私が語ることは、私自身にとっても大切なことだったんです。

Q 撮影前に、原作者のタチアナ・ド・ロネさんとは、どんな話をされましたか。ロネさんから何か要望はありましたか。
A 作者に対しては、自分自身の気持ちを正直に打ち明けて、誠実に行動することが一番大切だと思いました。だから、なぜこの小説を映画にしたいのか、どういうふうに描きたいのか、そういうことを一生懸命に説明しました。おそらくタチアナは、私のエキサイトした様子や、すごくやる気のあるところに心を動かされて、映画化権をくれたのではないでしょうか。それともうひとつは、今回の脚本を共同で手掛けたセルジュ・ジョンクールが、私の友人であり、タチアナの友人でもあったんです。セルジュはフランスでも非常に評価の高い作家ですから、彼が参加するということで、タチアナのなかでは、クオリティは保証されたという気持ちもあったのでしょう。映画化権をいただいてから、何かリクエストはありますかと尋ねたのですが、ほとんど何もなかったですね。私たちを信頼して任せてくれました。完成した映画を見て、「非常にうれしく思っています。私の小説とあなたの映画は、同じ遺伝子を持った兄弟のようです」と言ってくれました。

Q 原作にはない“大人になったサラ”のキャラクターに込められた、監督の想いを教えてください。
A サラの大人時代を描くことによって、沈黙のなかに、罪悪感のなかに、後悔のなかに、サラが自分を閉じ込めてしまっている姿をヴィジュアル化したいと思っていました。小説を読んだときに、途中で彼女が消えてしまうのを、非常にもったいないな、残念だなと感じていました。だから、映画になったときに、やはりサラの姿が大人になる前に消えてしまったら、観客は小説以上にもっと辛い想いをするに違いないと考えたのです。私にとって、映画では大人になったサラに、ちゃんと具体的な姿を与えるということは、非常に重要なことでした。

 ホロコーストのもたらす影響は、戦争が終わると同時にブツッと終わってしまうわけではありません。それはホロコーストを生き残った人たちのなかに、ずっと生き続けていくのだということを示すことが大切だと思いました。大人になったサラを描くことで、受けた衝撃の結果というものを、ヴィジュアル化しようとしたわけです。生き残った人たちは、自分のなかの一部が失われてしまったような気持ちと、罪悪感と後悔を持って生きていくのだと聞きました。せっかく生き残ったのに、なぜ私だけが生き残ったんだろう、私は生き残っていていいんだろうかという問いかけを、誰もが一生続けていかなければならない運命にあるんです。それはホロコーストに限らず、今も世界で起こっている戦争や、もっと個人的な心理的なショックなどから生き残った人たちが、みんな抱えている問題です。日頃から、そういう影響について描かれた作品が意外と少ないんじゃないか、もっとその点にスポットを当てなければいけないのではないかと考えていましたので、この映画で自分がやろうと決めました。

Q クリスティン・スコット・トーマスと、ジュリアの役作りについてどんな話をされましたか。
A クリスティンと最初に会ったのは、ニューヨークでした。2009年の11月4日で、オバマが大統領に選ばれた日でしたので、その日のニューヨークには、かなりクレイジーな空気が流れていたのを覚えています。そのときは、なぜこの映画を撮るのか、どうすればみんなに興味を持ってもらえるか、ストーリーのこと、キャラクターのこと、そういう一般的なことを話しました。クリスティンの方は、こういう役柄を演じることによって、女優としてどういうものがもたらされるか、といったことを話していましたね。

そのあと、ジュリアの役柄について具体的に話し合ったことは、ほとんどありません。と言うのも、彼女がそれを必要としていなかったからです。とても頭のよい人で、直観という本能的なものも持っていますし、女優としての才能にも恵まれ、経験値も非常に高い人です。だから、どんな演技をするかを説明する必要が全くなかったわけです。彼女には自由にやってもらうようにしていましたし、彼女の方も私にこうしてほしい、ああしてほしいというような注文はなく、お互いに尊重し合ったという感じでした。もちろん、ときには撮影現場で、彼女が少し煮つまってしまったり、ここが分からないと悩んだりすることはありました。そういうときは、その場で話し合って解決しましたが、役作りに関するまとまった話し合いを持ったことはありません。それが彼女のやり方なんです。

Q サラ役のメリュジーヌ・マヤンスが素晴らしかったです。この映画を見た人は、彼女の眼差しを一生忘れないと思います。
A メリュジーヌは、非常に大人びた、成熟した女の子です。ちっちゃい女の子に話すような必要は、全くありませんでした。それどころか、彼女はすでに女優でした。カメラワークについてもよくわかっていましたし、自分に照明がどう当たっているのかも理解していました。すでに映画制作の知識を身につけていたんです。だから、大人の俳優と一緒に仕事をするのと、全く変わらなかったですね。

才能のあるなしで言うと、彼女の場合は間違いなく才能のある女優です。彼女に出会えたのは、大変ラッキーでした。小さな女の子が、非常にややこしい状況にいるサラというキャラクターを、演じなければならないわけです。メリュジーヌに出会う前は、本当にサラを演じられる女の子が見つかるのだろうかというのが、我々の一番の懸案事項でした。サラを見つけられなかったら、この映画は存在しないわけですから。メリュジーヌは、我々の可愛らしい宝物のような存在でした。

Q メリュジーヌには、どんな演技指導をされましたか。
まず、メリュジーヌの御両親が彼女に、ホロコーストとは何かを説明されました。それから、実際にホロコーストを生き残った人たちと対面させました。彼女自身はまだ幼い子供ですが、ホロコーストの生還者の話を聴くことによって、それが具体的にどういったことかと想像できないまでも、自分も同じフランス人として何か責任があるのだということを、本能的に察知したようでした。彼女の素晴らしいところは、そういったことをきちんと感じ取って演技に生かした上で、しかし自分のシリアスな役に自分自身が押し潰されないところです。撮影現場の彼女は、いつもとても陽気で、演技をするのが楽しそうで、本当に子供らしく活き活きとしていました。フランスでは、子役に何かを演じさせるときに、その子が精神的にその役を演じられるかどうかをチェックする機関があります。こういったユダヤ人迫害の話だったりすると、すごくショックを受ける子供もいて、そういう場合はやめた方がいいというアドバイスがあるそうです。

Q 2011年、日本は大変な困難を体験し、今もその試練は続いています。『サラの鍵』はそんな私たちに希望をくれる作品だと思います。そんな映画を撮られた監督から日本の観客の皆さんへのメッセージをお願いします。
A 起こってしまった悲しい出来事を受け入れるということは、非常に辛い作業だと思います。人間としても、国としても、困難なことだと思います。それをどういうふうに受け入れるかというと、ふたとおりのやり方があると思うんですね。非常に重荷だとシリアスに受け止めるのか、あるいはそうではなくて、将来的にはもっと良くなるひとつのきっかけだというふうに捉えるのか。辛い経験から何かを学んで、もうひとつ成長していく、そういうふうな機会にすることができれば、いいのではないでしょうか。亡くなった人たちに対して鎮魂を捧げるためにも、自分たちがその経験を無駄にしないで、そこから何かを学んで、よりよい人生をおくる。そういうことが、いい方法なんじゃないかと、私は思っています。

(取材・文 山元明子) ページトップへ
   
             
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