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  阪本順治監督インタビュー
記者会見レポート
★阪本順治監督インタビュー
大阪・九条のシネ・ヌーヴォで上映中の「浪花の映画大特集」で30日、阪本順治監督の新世界三部作「どついたるねん」「王手」「ビリケン」が上映され、満員のファンの中、阪本監督がトークショーに出席。新作「大鹿村騒動記」に主演し先ごろ亡くなった原田芳雄さんの思い出などを初めて語った。
―――― 原田芳雄さんの思い出は尽きないと思うが
映画の公開前は話せたが、(死去後)1週間経って気持ちの整理がついてない。プライベートに関しては言えない。けれども、関西の映画館が連携して(原田さんの)追悼上映をしてくれるそうなので…。

―――― 「大鹿村騒動記」撮影中の原田さんは?

痩せていてカッコいい、また次の役があるなあ、と。
 ―――― 主役は「大鹿村」が初めてだった。
初めてお会いしてから22〜23年になるが、今までと全く違う役がある、と思いながらそこで止まっていた。原田さんのアイデアから「大鹿村」が出来た。映画には思い出じゃない原田さんがいる。
―――― 原田さんはじめ、おつきあいの長い人たちが多いが、出演オファーはすんなりか?
いやあ、芳雄さんはじめ、佐藤浩市や岸部(一徳)さんら、厳しい方ばかりなので、断られることもあった。(脚本が)甘かったら断られますね。「ビリケン」では原田さんに1シーン出てもらってるが、流しの通行人役。遊び心で何者でもない役だけど、出てくれた。だけど、時々「これでいいのかよ」とダメだしが出たり「大鹿村」では「このセリフ、オレ言わないよ」と言ったり、「普通(なんて)ねえよ」という考え方だった。順撮りが嫌いで、初日にラストシーン撮ったりする。「どんどんはみ出なければいい」が持論で「真剣に遊ぶ」主義。ただ、主役と準主役の遊びは違う、と。主役の時は、自分に向ってくる勢いが違った。
―――― 「大鹿村」の撮影では?
原田さん、腰の爆弾抱えてましたからねえ。でも、主役、座長としてこの映画に向う精神性を感じた。基本は台本に則ってやりましたが、ラストカット、芳雄さんのアップで終わったのは芳雄さんのアイデア。私は2行ぐらいのセリフを書いていた。
―――― 原田さんと初めて会ったのは?
初めて出ていただいた「どついたるねん」の時、荒戸(源次郎プロデューサー)さんの紹介で88年に原田さんの家に行った。原田さんはボクシング好きで、説明を聞いて「分かった。阪本さんのためにやる」と言ってくれた。12`減量してきた。

―――― 原田さんの作品は見ていた?

デビューの順じゃない。和田アキコらと出ていた「野良猫ロック」。中1ぐらいかな、近所の映画館で見た。その後は「祭りの準備」や「反逆のメロディー」。暴力性とイヤらしさ、若いころの芳雄さんの蛮心はいくつになっても変わらなかったな、と。

 ―――― なんと呼んでいた?
原田さんから芳雄さんになった。仲間はみんなヨシオと呼んでたんで、一度はヨシオって言って見たかったけど、最後まで言えなかった。
―――― 最後に会ったのは?
7月11日のプレミア上映会(東京)。公開直後にこういうことになるとは思っていなかった。韓国で「DMZ」(非武装地帯)の予告編を頼まれて行っていた。(死去の知らせは)ご家族から電話で聞いた。

―――― 覚えている言葉は?

 「面白みの向こう側におかしみがある」。いまだにちょっとしか分からない。「どついたるねん」から6本(短編「新世界」含めて7本 )出てもらったが、何でもない役でも芳雄さんに委ねたいということはあった。書き込んでいないシナリオを喜んでもらえた。そこでどう遊ぶか、と。ある種、決め込んだキャラクターよりも、空白のある方が喜んでもらえる
―――― 「大鹿村」では病気との戦いでもあった?
病気に対する意識はあったが、現場に入ってしまえば…。「命がけ」じゃなく、「命がけじゃない」ところが凄かった。芳雄さんのサジェスチョンで出来たんですから。アップした時「お前と初めてやったな」と言われて、「今まで何やったのかな」と。次はオカマの役、股旅物をやりたいっていってた。
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