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★『ポエトリー アグネスの詩』イ・チャンドン監督インタビュー
『ポエトリー アグネスの詩』 (Shi(詩))
〜彼女は姿を消した,一篇の美しい詩を残して〜

(2010年 韓国 2時間19分)
監督・脚本:イ・チャンドン
出演:ユン・ジョンヒ,イ・デビッド,キム・ヒラ,アン・ネサン,
    パク・ミョンシン

2012年2月中旬〜銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館、テアトル梅田、シネ/リーブル神戸、京都シネマ ほか全国にて公開
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒ http://poetry-shi.jp/

 『オアシス』、『シークレット・サンシャイン』などの衝撃作を送り出してきたイ・チャンドン監督の最新作は、初期アルツハイマーの老女が孫息子の不祥事と向き合いながら、長年の夢であった詩を紡いでいく姿を静かに描く、まさに映像詩だ。
イ・チャンドン監督の来阪時に行われた『ポエトリー アグネスの詩』インタビューでは、本作のイマジネーションを得た時のエピソードや、詩や主人公ミジャに託す想いを語ってくれた。
━━━実際に韓国で起こった事件をもとに本作を作ったのか?
実際に韓国の一地方都市で起きた青少年の性暴行事件で、この事件が起こったのを知ったときは、「これを映画にしなければ」と考え、私の精神的なきっかけとはなりましたが、モデルにしたわけではありません。実際の事件では、少女が自殺していませんし、事件の内容そのものも違っています。
ただ映画で表す方法を探すのはとても難しかったです。被害者側にたって悔しい事情を表す、闘うという方向で描くことや、そうではなくて刑事や記者といった第三者の立場に立って真実を暴くという方向で追求することもできました。でも、そういうやり方で映画を作ると皆には分かりやすいけれど、私の中ではそうではなかった。ではいったいどういう方向で表すことができるだろうと考えていたんです。

━━━京都のホテルで、どのようにストーリーを思いついたのか?
京都のホテルで宿をとっていたのですが、テレビのあるチャンネルで美しい映像と音楽が流れてきたのです。そのとき私は本を読んでいたのですが、急に「詩」というタイトルが浮かび上がり、同時にこの主人公の女性が60代のおばあちゃんで、生まれてはじめて詩を書くということに向き合うという場面が浮かび上がりました。ただ詩を書くということは、美しさを追求することである一方で、このような事件は残忍でむごたらしいことです。詩と事件というのは両極端のときがあるけれど、この二つを語ることが可能だと思ったわけです。

━━━川の音や風の音などを使い、音楽は使われていないが、その意図は?
私はもともと映画の中であまり音楽を使いません。アメリカの映画のように最初から最後まで音楽が流れるということは、ちょっと耐えられない部分があります。音楽というのは作られた感情を押しつける性格があるのではないかと思います。今回の「詩」の映画については、見えない美しさを観て、探す行為だと思っています。だから今回の映画のコンセプトには反することではないかと考えています。騒音や人の声や自動車の音、風の音、水の音、そのようなものの中に映画を観ている人たちが自ら音を感じてほしいと思いました。

━━━世界各国で若者が得体のしれない動機で犯罪を犯しているが、今の若者像を本作に反映させたのか?
私はこの映画でミジャの孫、ウギだけではなく、その友達も同じで説明することができる、何か因果関係があって事件を起こしたと決めつけたくなかったんです。特別な子たちがあの事件を起こしたのではなく、人間的で普遍的な事件だったと考えたかったのです。次の世代の子どもたちはどのような種類の人間たちなのか非常に気にかかるし、心配だけど、一方で愛する気持ちもあります。それはつまりミジャの心情でもあります。ミジャはすぐ世の中を去っていく人ですが、彼女が次の世代の人を怪物だと思うか、それとも希望を込めて思うか、そのような気持ち、すなわち私の考えをこの映画に込めたかったのです。

━━━主演のジョンヒさんは現役を長く離れていたが、オファー後の反応は?
シナリオを書く前にジョンヒさんにお会いして、出演をお願いしたところ、全く迷いもなく即答で快諾してくれました。ジョンヒさんが活躍していた時代は音を後から撮っていたので、横で監督が話しながら演技をつけることが可能だった時代ですが、今は演技の方向も違いますし、音も全く同時に撮っていきます。また私自身も表現はできるだけ演技をしないようにお願いしていたので、ジョンヒさんにとって撮影は非常に大変だったと思います。けれどもよく理解して適応してくださいました。

俳優たちに演技をしないように指導していますが、その意味は演技とは俳優が感情を表現するのではなく、俳優がその人物を引き受けて、その人物の感情を感じ取ったらそれで十分なのではないかと思います。だから感情を何か表現してはいけないと私は考えています。だからイ・ジョンヒさんはミジャであることを受け入れて、ミジャの感情を感じるだけで十分だったんです。

━━━川のシーンではじまり、川のシーンで終わりますが、川に込められた意味は?
川の流れは非常に平和に見えるし、美しく見えますが、すぐその後に少女の死体が写ります。日常によくある平和だとか美しいということが、ある瞬間にとんでもない苦痛が共にあるということを示したかったのです。最後の川のシーンは、少女の「死」、ミジャの「死」まで想像を膨らますことができるシーンで、私自身は川の流れは命、生命の源として感じ取ってもらいたいという想いがありました。川の流れは耐えることがない、命の源に戻るという行為をイメージしたのです。


(C) 2010 UniKorea Culture & Art Investment Co. Ltd. and PINEHOUSE FILM. All rights reserved.
━━━最後、詩の朗読の声がミジャから少女の声に変わりますが、ミジャが詩を作ることによって亡くなった少女の想いを引き受けたのか?
ミジャは最初に詩を書こうと努力をします。目に見える美しさ、花や鳥のさえずりや、そういうものを書こうと努力しましたが、そういうものだけでは詩にならないことを悟っていきます。自分は一生懸命美しいものを探そうとするのに、生きていく中には醜いもの、汚いもの、苦痛なもの、そのようなものを通り過ぎたあとに美しいものに行き着くのだということに苦しみながら近づいていきます。結果的には死んだ少女の苦痛を自分の苦痛として受け入れて一編の詩を残していくわけです。死んだ彼女が残すことができなかった心や言葉を代わりに詩として表しました。タイトルは「アグネスの詩」ですから。

━━━監督の作品は俗っぽい描写があるのも魅力的だが。
私たちの周りには非常にああいう人物(詩の発表会で卑猥な話題をする刑事など)が多いですよね。あのような場所であんなことを言う人もいれば、笑う人もいるわけです。ただその一方で非常に人間的な側面をもちあわせています。あの刑事さんはミジャの悲しみや苦しみに関心を持った唯一の人でもあったわけです。おそらくミジャのいろいろな話を聞いてあげたであろうし、決定的なミジャの選択もサポートする人物だったわけです。

また詩ということは美しさを探すことである一方で、猥雑であることや世俗的であることと実は表裏一体なんです。ミジャは最初は純粋であるがために、それを受け入れられなかったのですが、結果的には美しさは世俗的で俗っぽいことと共にあることを受け入れざるを得ないのです。
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 映画がこんなに詩と寄り添える存在であったとは。映画の見方は人それぞれ、自由に物語を作ってごらん、監督からのそんな声なき声が聞こえる。アルツハイマーと忍び寄る死、残虐な暴行事件など描き方によっては凄惨になる出来事を、全く違った角度から寄り添うように描く脚本の妙を感じながら、イ・チャンドン監督ならではの考えが込められた結果であったことを実感できるインタビューだった。五感を研ぎ澄ませながら、心で感じてほしい映画だ。

(江口 由美)ページトップへ
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