topへ
新作映画
最新記者会見 記者会見(過去)
旧作映画紹介
フリーペーパーシネルフレ プレゼント

  ・『のんちゃんのり弁』

  ・『グッド・バッド・ウィアード』

  ・『ぼくとママの黄色い自転車』

  ・『8月のシンフォニー』

  ・『女の子ものがたり』@

  ・『女の子ものがたり』A

  ・『ナイト ミュージアム2』

  ・利重剛監督インタビュー

  ・岡本みね子プロデューサー

  ・『幸せは
      シャンソニア劇場から』

 
記者会見レポート
  『のんちゃんのり弁』
『のんちゃんのり弁』
〜“これが私の生きる道”
後悔しない生き方を探る女性応援ムービー〜


(2009・日本/107分)
監督 緒方明
脚本 鈴木卓爾
出演 小西真奈美 岡田義徳 村上淳 佐々木りお 山口紗弥加
     岸部一徳 倍賞美津子  

2009年9月26日よりシネ・リーブル梅田ほか全国にて公開
10月3日〜京都シネマ&シネ・リーブル神戸
11月14日〜高槻ロコ9シネマ

公式サイト⇒ http://www.noriben.com/
【STORY】
 下町育ちの永井小巻31歳。自称・作家のダメ亭主に愛想をつかした彼女は、娘のんちゃんを連れて実家に出戻った。まずは仕事探しと意気込み会社の面接を受けるも、キャリアもなく残業もできない小巻を雇ってくれるほど世間は甘くない。仕方なしに水商売の道へ飛び込むが、客のセクハラにあい1日で降参。貯金もないのに、これからどうする?考え抜いた小巻は、唯一の才能である弁当作りを活かして、安くておいしいお弁当屋を開店させようと思いつく。
 入江喜和の人気コミック「のんちゃんのり弁」を、『いつか読書する日』の緒方明が映画化。資格なし、職なし、金なし、ついでに社会常識もなし。そんな31歳の女性が、唯一人から誉められる特技である「お弁当作り」を通じて、人生ゼロから再スタートを切るまでの奮闘をテンポよく描いたハートフル・ムービー。考えが甘く無謀だけど、ひたむきに生きる小巻を『Sweet Rain 死神の精度』の小西真奈美が快活に演じる。キャンペーンで来阪した緒方監督が合同取材に出席。インタビューに応じてくれた。
 本作は世のアラサー女性への「エール」だ。まだまだ未熟な30代に現状から一歩踏み出す勇気と生きる覚悟とは何かを教えてくれる。だが、それがお説教臭くならないのは、緒方監督の秀でた人物描写力につきる。等身大のアラサー女性の生態をどんな風に掴んでいったのか聞いてみた。「脚本を書く前に、現代の女性はどういう気持ちで、どんな日常を過ごしているのか知るために30〜35歳の女性、50人にインタビューをしました。その結果として、原作が描かれた90年代中頃より、今の女性は“幼くなっている”と感じた。まず、30歳という年齢の捉え方が違う。10年前は「結婚する」「起業する」とか、30歳って節目の年だった。結婚していない人は悩んでいたしね。今の人は見た目も若いけど、考え方が幼い。漠然と不安を抱えて、漠然と夢をみている。だからといって何をしているわけでもない。でも、習い事はマニアックなことをしていて、旅行はハワイとかグアムでなくペルーに行ったりする(笑)。もう、彼女たちの話をずっと聞いていると、最後には腹が立ってきて(苦笑)」
 さすがドキュメンタリー出身の監督。その的を射た分析に反論の余地もない。劇中で人生の壁にぶち当たった小巻が「人が出来ること何も出来なくて、そのくせプライドばかりあって。30歳になるまで何もせずに生きてきたツケが回った」と言うカウンターパンチのようなセリフがあるが、あのひと言は監督からの「目を覚ませ!」という愛の一撃だったのかもしれない。「インタビューを通して、俺はこの子たちに映画を見せなきゃいけないのかと少し悩んだ。初めからアラサー女性の応援歌にしようとは思っていたけど、それだけじゃダメだと。じゃあ“叱咤激励”しようと思いついた。最近の若者は、反発もしないけど、従いもしない。個人主義になってきている。うすいコミュニケーションのなかでの自分探しが主流になっている傾向に抗いたかった。舞台も幸いなことに下町で、人間関係が濃いので“叱咤”できるなと。そうして、岸部さん演じる“ととや”の主人の「責任を取るとは一体なんなのか」というセリフにつながってくる。」
 不器用なのに信じ込んだら一直線!気の強い下町娘の小巻に小西真奈美を起用したことについては「最初は想像つかなかった。でも食事に行ってこの人面白い!ポイントは普段芸能人オーラが全くないこと。すぐれた俳優は食事のときに芸能人オーラを出さないですね。でも、自分の意見はハッキリ言うし、人の話を聞くし、現場ではきっちりしている。大人としてのモノサシをもっているから、幼い演技もできるんです。彼女のダメ亭主を演じた岡田君は飲み込みが早い。彼は昔、下北沢のライブハウスでバイトしていたので、ダメ男は見慣れているんです。夏なのに革ジャン着て、カウンターの下に寝込んでいるような男の役だと説明したら、大喜びで「まかせて下さい!」って(笑)。」
 主人公の小巻がどんどん強くなっていく裏で、図らずとも浮かび上がってくる男性陣の情けない言動は“草食男子”ブームが本物であることを裏付けているようだ。「終わってから気付いたんだけど、男が本当にダメダメだなぁ〜と。面白いのは、小巻がいい雰囲気になる同級生の建夫に「結婚なんてしなくていいよ」って言ったときに、男が「俺は一瞬の幸せより一生の伴侶を選ぶ」って言うところ。これって一昔前に女性が言っていたセリフですよね?岡田君の「ダメでだらしないけど憎めない」役も、桃井かおりさんが20〜30年前くらいにやっていた役だなと(笑)。別に男をダメにしようと思って書いたわけじゃない。今をどう取り入れていくかをテーマにしていたら結果としてこうなった。これが21世紀なのかな。ちなみに、建夫を演じた村上淳には、そこらへんに生えている草みたいな演技をしてと注文した。風が吹けばなびき、油気はゼロ。でも、時々現場でフッとセクシーな顔をするので「今気持ち込めたでしょ。ダメだよ!」って(笑)」
 そして、最後に「お弁当って作ってもらっているときは気付かないけど、20年経って振り返ると、みんなお母さんのお弁当が一番おいしかったっていう。そう考えると、お弁当って20年経って届く究極の時間差ラブレターなんだなと。見返りを要求しない、親子の流れも描くことが出来たと思います」と語ってくれた。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『グッド・バッド・ウィアード』 大阪キャンペーン
『グッド・バッド・ウィアード』大阪キャンペーン
ゲスト:イ・ビョンホン、チョン・ウソン、キム・ジウン監督

(2008年 韓国 2時間9分)
監督:キム・ジウン
出演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、チョン・ウソン、リュ・スンス、ユン・ジェムン、ソン・ビョンホ

2009年8月29日〜梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸ほかにて全国公開
公式サイト⇒ http://www.gbw.jp/
作品紹介は ⇒こちら
〜韓国3大俳優ガンホ×ビョンホン×ウソン共演の西部劇〜
【ストーリー】
 多種多様な人種が集まり混沌とした時代。広大な荒野を走る大陸横断列車に日本軍が残した「宝の地図」があると知ったギャングのボス・チャンイは、列車強盗をおこす。だが、偶然乗り合わせていた“こそ泥”のテグに先をこされてしまった。何事も自分が一番でないと気が済まないチャンイは、テグを追撃!さらに、賞金ハンターのドウォンも2人を追い始める。
 『箪笥〈たんす〉』『甘い人生』などヒット作を連発する実力派監督キム・ジウンが、名作『続・夕陽のガンマン』から着想を得た韓流ウェスタン。一枚の宝の地図をめぐりド派手な争奪戦を繰り広げる3人の男たちの欲望を怒涛のアクションで描く。
本作で、非情&セクシーなギャングのボスに扮したイ・ビョンホンと、大金に目がない賞金ハンターを演じたチョン・ウソンが、キム・ジウン監督と共に来日し、大阪での記者会見に出席した。
―――映画後半で展開される砂漠での追跡劇で大変だったことを教えてください。

チョン・ウソン:馬のスピードに付いていくのが大変でした。馬と並走して走る車両に乗っている人が、まるで記録更新を目指しているかのように「今60キロ、70キロを超えたよ!」と教えてくれたのを覚えています(笑)。そのスピードの上で銃を撃つシーンは本当に大変でしたが、他の俳優も高難度のアクションを演じていて、それを見守るのも辛かったです。
イ・ビョンホン:この映画は順撮りで撮影していたので、後半になるにつれ良い映像を作らなければというプレッシャーが増していきました。危険なシーンの連続で、しかも馬は少しの物音にも反応する敏感な動物です。地面には爆弾が仕掛けられているなかで、銃を撃つことに危険を感じつつ、安全を省みないで撮影していました。1日たりとも緊張を緩めることはなかったです。

キム・ジウン監督:撮影はライブアクションにこだわりました。彼らはアクション俳優ではありませんが、CGに頼らず迫力ある映像を撮りたかったので、3人それぞれ捨て身の演技で頑張ってもらいました。馬に乗って大平原を滑走するシーンでは、俳優たちに「より高く!より早く!より力強く!」と声をかけていたのですが、今振り返ると自分は映画監督なのか、オリンピックの監督なのか分からないという気持ちになりますね(笑)
―――イ・ビョンホンさんに質問です。初めての悪役で苦労した点は?

イ・ビョンホン:肉体的にはもちろん、キャラクターを掴む上では監督とよく話し合いました。撮影の序盤に、殺しの後に1人でピーナッツを食べながらグルグルと踊って独り言を話すシーンを撮ったのですが、あの場面はチャンイの残酷で凶暴なキャラクターをうまく描写していると思い、役作りに役立てました。さらに、チャンイとはどんな内面をもち、なぜ彼がこんな行動をとるのかを常に考えていました。彼の悪事の全てには根拠があると思ったので、自分なりに彼のヒストリーを考え、研究し演技をしていました。
―――この映画が成功に導かれた要因をどう考えますか?

キム・ジウン監督:スタッフ、俳優が同じ目的をもって走ってきたことが、良い結果を招いた一番の要因だと思います。中国の悪条件な自然の中での撮影は、映画を撮りにきたというより、奥地を開拓に来たような気持ちになりました。でも、おかげで意味のあるエンタテインメント作品が生まれたと思います。この映画の成功はキャスト、スタッフのロマンが集結した結果です。

イ・ビョンホン:本作には、俳優各自が演じた個性の強いキャラクターを観るという楽しみがあります。俳優は、雑念を持たず役になりきって演じることが大切だと考えています。そんな各自が演じたものを、最後にまとめてくれるのが監督です。今回は運よく俳優が役割をきちんと果たし、監督が俳優の演技を調和させて上手くまとめてくれたのだと思います。
チョン・ウソン:それは、ひとえに監督のおかげだと思います。ストーリー自体も監督の想像力から発していますし、3人の素晴らしいキャラクターを生み出してくれました。監督は、現場に於いて賢明な観察者であり、すべてを調律させる人です。3人の俳優がもつ、それぞれの長所をうまく活かして引き出し、チーム全体をまとめ上げてくれた監督を尊敬しています。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『ぼくとママの黄色い自転車』
『ぼくとママの黄色い自転車』

(2009年 日本 1時間35分)
原作 新堂冬樹
監督 河野圭太
出演 武井証 阿部サダヲ 鈴木京香 柄本明 西田尚美
2009年8月22日(土)〜梅田ブルク7 ワーナー・マイカル・シネマズ茨木
公式サイト⇒  http://www.bokumama.jp/
【STORY】
 横浜市の郊外で父と暮らす小学3年生の大志は、パリにデザイン留学するママから届く手紙を心待ちにしている。だが、ある日。手紙に入っていた写真が、過去のものだと気付いた大志はこっそり父の部屋を物色。そこで、ママは小豆島にいるという証拠をつかむ。なぜパパが嘘をついているのか分からないまま、大志は愛犬のアンと一緒に自転車で小豆島を目指す。
 新堂冬樹のベストセラー小説『僕の行く道』を『子ぎつねヘレン』の河野圭太監督が映画化。母に会いたい一心で、横浜から小豆島まで“総距離500キロ”のひとり旅に出た少年のひたむきな思いと、両親が隠した悲しい真実を、やさしい愛で包み込むように描いた冒険と成長のハートフル・ドラマ。主人公の大志を演じた『いま、会いにゆきます』の武井証と、彼の父に扮した『舞妓Haaaan!!!』の阿部サダヲが、大阪市内で行われた試写会の舞台あいさつに登場した。
 「今日はありがとうございます!大阪は初めてで緊張しているのですが、よろしくお願いします!」とハキハキ挨拶する武井に対して「こんにちは」と緊張気味の阿部。舞台挨拶の前に出演した毎日放送の『ちちんぷいぷい』でも、小学生ばなれした受け応えをする武井にトークを任せっきりだったと言い「今回はもうちょっと喋ります」とションボリ。

  映画の中では親子役だが、現実ではどうやら“しっかり者の子役”と“話し下手の中堅俳優”という構図が出来ているらしい。
 しかし、武井は阿部の印象を「いつも明るくて優しい。アドリブも出していてすごいと思う。」と語り、一応(?)尊敬しているようだ。それを聞き「ありがとうございます。」とますます恐縮する阿部に場内の観客も笑いをこらえきれない。
 これまでに『舞妓Haaaan!!!』『ヤッターマン』『パコと魔法の絵本』などで、エキセントリックなキャラクターを多くこなしてきた阿部が今回挑戦した役は、どこにでもいる父親だ。「みなさん僕の“新境地”だと言ってくれます。新しい阿部サダヲになったかな。でも、役作りは特にしていなくて、いたってフツーです(笑)」一方、ママ探しの旅に出る少年を演じた武井は「撮影で大変だったのは夏の暑さです。旅で印象に残っているのは、小豆島の“エンジェルロード”!(海岸から沖の小島まで引き潮の間に現れる砂の道のこと)すごくきれいだったのでまた行ってみたいです。」と目を輝かせた。
 最後のメッセージでも「(この映画で)家族はとっても大切なものだと思いました。身近な人を大切にして欲しいです。心温まる映画になっているので、ぜひハンカチを膝元に用意して見てください」と、キッチリ締める武井。次に話す阿部は、あまりのプレッシャーに「もう許してください!」とまさかの降参。しかし、観客はそのグダグダ感に大喜びで「がんばれー!」と声をかけていた。最後は「ぜひ、まっすぐな気持ちでみてください。夏休み公開ですので、新学期になったらみんなに面白かったと言ってください」と話し舞台をあとにした。
その後に行われたマスコミ取材では、それぞれが映画について語ってくれた。

(武井) 「小豆島はセミもいっぱいいて、阿部さんと水鉄砲で一緒に追い払ったりしていました。アンは自転車に乗せるときにちょっと重かったけど、すごく利口な犬で自転車のカゴに乗っても動かないから、大変なことはなかったです。今年の夏休みはどこにも出かけていません。来年、中学受験なので、おうちで勉強したりテレビみたりしています。」

(阿部) 「小豆島は、きれいでゆったりと時間が流れていて過ごしやすそうでした。僕は夏休には、野球ばっかりしていましたね。あと、犬を飼ったのを覚えています。雑種ですけど。武井くんはすごい俳優。年下でこんなにしっかりした俳優は、神木隆之介くん以来かな。子役とは思えないですね。ちゃんと受け応えもできて(笑)」

 舞台では、「物怖じしない武井証」と「アガリまくりの阿部サダヲ」というナイスコンビに笑いを誘われたが、映画では、いつもニコイチでいる大志と、愛犬・アンの可愛らしさに注目。自転車のカゴに横座りして旅に同行するアンと、愛犬を守ることで勇気と自立心を得る少年のコンビ愛が微笑ましい。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『8月のシンフォニー −渋谷2002〜2003

『8月のシンフォニー』
〜川嶋あい試写会舞台挨拶に登場!〜


<イベント日時>
■ 日時:8月11日(火)18:30〜19:00
■ 場所:シネマート六本木 SCREEN1
■ 登壇:監督・西澤昭男&川嶋あい
 


(2009年 日本 1時間58分)
監督・脚本:西澤昭男 
原作:川嶋あい 『最後の言葉』 (ゴマブックス刊)
声:福圓 美里 高橋 惠子 高橋 和也 山本 學 吉野 裕行 主題歌:川嶋あい『大丈夫だよ』(つばさレコーズ)

2009年8月15日〜大阪シネ・リーブル梅田先行ロードショー
2009年8月22日〜渋谷東急ほか全国でロードショー

川嶋あいは思い出の地・渋谷C.C.Lemonホールにて 8月20日、8月26日にライブを行う予定

公式サイト⇒ 
http://www.8gatsu-eiga.com/

川嶋あいオフィシャルHP⇒ http://www.kawashimaai.com/index2.php
つばさ祭オフィシャルHP⇒ http://www.doublewing.co.jp/
 シンガー・ソングライター川嶋あいの10万冊を超えるベストセラー「最後の言葉」を題材に、西澤昭男監督により本格派アニメ映画化となった映画「8月のシンフォニー」。
  「歌手になる」という夢を果たすために単身上京し、「1000回の路上ライブ」、「天売でのCD販売5000枚」、「渋谷公会堂でのライブ」と3つの大きな目標を上げ、渋谷での路上ライブをベースに活動。路上ライブ開始からわずか一年半で渋谷公会堂のステージにたったシンガー・ソングライター川嶋あい。彼女の生い立ちや本格デビューするまでの道のりの実話を基に、友情、愛、ひたむきに生きる姿を描いた感動作。

<ストーリー>
2002年5月渋谷、一人の少女が路上で歌っていた。彼女の名前はアイ。「歌手になる」という夢を果たすため、一人福岡から上京し、高校生活を送りながら歌手を目指していた。厳しい現実の中、たった一人の家族である母親に励まされながら、彼女は路上ライブ1,000回を目標にストリートに立ち続けていた。その歌声を耳に止めた一人の男がいた。彼の名前は秋葉亮介。彼は彼女の天性の歌声と歌に心を動かされた。そしてなにより彼女の努力する姿に心惹かれた。
2002年渋谷−ここからアイの伝説が始まる・・・
-------------------------------------------------------------------------------------

 本作、映画「8月のシンフォニー」の8月22日の公開に先立ちまして、本日、西澤昭男監督と原作本の著者であり、シンガー・ソングライターの川嶋あいさんによる舞台挨拶が行われました。

舞台にあがった西澤監督と川嶋あいは、それぞれ映画に対する思いを語った。

西澤監督: 「この子を歌手にしていこう!という社長や学生、母のため、皆のために歌おうとするあい。一緒になって一人の夢を叶える。自分のことしか考えない事が多い今の時代に珍しい物語」

川嶋あい: 「15・16・17歳の時の自分がメインで描かれていて、仲間との絆、出会いに支えられたと気づいた。夢を叶えるために動き出す事で成長する物語なので、ぜひ子供たちに見てもらいたい。夢、目標をもって情熱を注いで生きてほしい」
と過去の自分を振り返り、映画への思いを照れながら語った。
(配給:ゴーシネマより)
  『女の子ものがたり』@〜森岡監督インタビュー〜
『女の子ものがたり』

(2009年 日本 1時間50分)
監督・脚本 森岡利行
出演 深津絵里 大後寿々花 福士誠治 波瑠 高山侑子 森迫永衣
8月29日(土)〜シネ・リーブル梅田 なんばパークスシネマ ワーナー・マイカル・シネマズ茨木 MOVIX八尾 京都シネマ イオンシネマ久御山
公式サイト⇒ http://onnanoko-story.jp/index.html
 『毎日かあさん』『いけちゃんとぼく』で人気の漫画家・西原理恵子が、自身の子供時代を綴った自伝的作品『女の子ものがたり』を深津絵里主演で映画化。メガホンを取った『子猫の涙』の森岡利行監督が来阪し、インタビューに応えてくれた。
 主人公はスランプ真っ只中の漫画家・高原菜都美(36歳)。描きたい漫画の方向性を完全に見失った彼女は、少女時代を共に過ごし、漫画家になる夢を応援してくれた故郷の友だちのことを思い出す。

 幸せになりたいすべての女の子へ贈る感動のハートフルドラマ。無垢だった少女が様々な葛藤を乗り越え成長していく姿を「小学校・高校・30代」と3世代の菜都美を通じて描く。実は、原作には深津が扮する30代の菜津美は登場しない。そのことについて監督は「西原さんが漫画家になるまでを描いた『上京物語』は、「人が泣いたり、笑ってくれたり自分の作品を見て喜んでくれる職業につけて嬉しい」って言って終わる。でも、その主人公がずっと東京で頑張っているうちに、本当に力を込めて描いた作品が売れなくて、スランプに陥ったら…という所から着想を得た。僕もシナリオライターになって初めは嬉しかったのに、やっているうちにどんどん流されて、ヒット狙いで作品を書いたこともある。そういう時、どうやって“原点”に立ち戻るか。そうして故郷を回想することで、かけがえのない少女時代を際立たせた」
 演出には高校時代のなつみを演じる大後寿々花、きみこ役の波瑠、みさ役の高山侑子らフレッシュな若手女優3人のリアルな“思春期”も反映されている。「10代の彼女たちが身近なことでリアクションする姿をそのままフィルムに収めたかったので、あまり芝居をさせないようにした。キャスト同志の仲が良かったので、軽トラックの荷台に乗せてもらう場面とか、素で楽しんでいる場面もたくさんあります。」
 しかし、子供でいられる時間は刻一刻と過ぎ去っていく。決して裕福とは言えない乾いた土地で、きみことみさは若くして結婚する。漫画家という夢があるなつみには、甲斐性のない旦那に殴られても笑って過ごす親友2人の生き方は違和感でいっぱいだった。“2人とずっと一緒にいたいけど、私はこんな人生は嫌だ”。なつみの秘めたる思いと絵の才能に気付いていたきみこは、大好きだからこそ、なつみを町から“追い出す”ことに決める。物語のクライマックスで交わされる大ゲンカは、友だちの背中を押す、熱い優しさがほとばしる名シーンとなった。「あの場面は、波瑠だけに本番では本当に殴れって言ってきかせた。もし、大後に仕返しされても、もっといけと。そうしたら、2人とも火がついて、最後はもう大後の力がすごくて、ケンカを止める高山を本気で振り切ろうとしていた。」
 「一発勝負だった」というケンカのシーン。泥だらけになって感情をぶつけあう、大後寿々花と波瑠の熱演は、2人の女優としての素質の高さをうかがわせる。「大後には受けの芝居をしてもらっていたので、リハーサルもあまり行わず、ケンカのあと去るタイミングも自分の感覚で行けと言っていた。波瑠はその逆で責めの役。本当は好きなのに友だちの才能を見込んで、町から追い出さなきゃいけない。大きな悲しみを抱えているわけだけど、逆にそれを表現するなって波瑠には言いました。寂しい感情を出すな、他人に分からせるなって。でも、脚本を読んでいるとみんなケンカの場面で号泣なんですよ。でも、絶対、波瑠の泣き顔を大後に見せるな!って。最後まで我慢して、涙ためてふっと見上げる所でカットをかけました。もう、そのあと大号泣ですよ。」

 裏表があって、陰湿で、繊細で、複雑な「女の子の青春」。未完成でカッコ悪い少女時代をノスタルジックに描き切った監督は、予想を超えて良い作品になったと感慨深い様子。「女性プロデューサーと深津さんにも助けられました。深津さんは、自分は大後さんと顔が似ていないから、3世代共通のクセを作ったらどうかとか色々意見を出してくれた。女性プロデューサーも最初は「守護霊」のように見守ってくれていたのだけど、だんだん「背後霊」のようにうるさくなってきて「女の子はそんなことしない。女の子は…」って(笑) 。最後なんて「女の子3人で作ったことにして、監督の名前を“森岡利子”にしてくんない?」とか言われて(笑)

  そして最後に「スランプに陥っている人、友だちとうまくいっていない人が見て、ちょっとでも優しくなれたり、一歩でも前に進めるような気持ちになれたら嬉しい。」とメッセージを語ってくれた。

(中西 奈津子)ページトップへ
  『女の子ものがたり』A〜舞台挨拶〜
『女の子ものがたり』

(2009年 日本 1時間50分)
監督・脚本 森岡利行
出演 深津絵里 大後寿々花 福士誠治 波瑠 高山侑子 森迫永衣
8月29日(土)〜シネ・リーブル梅田 なんばパークスシネマ ワーナー・マイカル・シネマズ茨木 MOVIX八尾 京都シネマ イオンシネマ久御山
公式サイト⇒ http://onnanoko-story.jp/index.html
 「毎日かあさん」「いけちゃんとぼく」で知られる西原理恵子の自叙伝的漫画を深津絵里主演で映画化した『女の子ものがたり』の舞台あいさつ付き試写会が大阪で行われた。登壇者は、監督の森岡利行、主人公・菜都美の高校時代を演じた大後寿々花、原作者の西原理恵子。
 映画化の話がきたとき「信じてなかった」という西原。「映画化の話は頂いても今までは実現することがなかった。だから、またウソつきが、ウソの話をもってきた」と初めは疑ったそう。「今年立て続けに決まったのは、不況がよかったのかな」とニヤリ。それを受けて監督は「原作の良さは誰にでもある郷愁がいっぱい詰まっている所。僕も大阪から上京しているので、重なる所はたくさんあった」と話す。原作を映画化する上で気をつけたことは「そのまますぎると“貧乏”が強くなりすぎるので(笑)おしゃれ貧乏を心がけた」
 西原の分身でもある菜都美を演じた大後は「最近の日本映画って学園モノや恋愛モノが多くて、友だちの話を描いたものって少ないなと思っていたので、脚本を読んですぐにやりたいと思った。演技もすごく自由にやらせてもらいました。」と語る一方で、「暑いのに真夏にロケやってね〜」と横槍を入れる西原。そして「映画って10秒撮るのに3時間セット組んだりして、長い待ち時間があるんですけど、今回はひまわりを使うシーンで花をイチから植えていたので、ひまわりの満開を待つ“咲き待ち”があった。CGか造花にすりゃいいのに。」と舌好調なトークで裏話を披露。
 さらに本編に出演もしている西原について監督が「セリフを現場で増やしても完璧にこなしていました。役作りとメイクもバッチリしていただいて(笑)」と話すと「主人公が悲しみに暮れている場面で、どうしようもないことを言うおばさんの役です。見逃しちゃっていいです(笑)」と返し観客を楽しませる。
 と、ここで8月5日に16歳の誕生日を迎えた大後寿々花にバースデーケーキのサプライズが。ケーキは、映画に出てくるセリフと“ウサギ”のモチーフがのった特別仕様だ。ケーキを囲んでの写真撮影に応じる際も、西原は3人並んだ姿を「ホルモン焼き屋の夫婦とこれから高校入試の面接を受ける娘です」と的確(?)に表現し楽しませることに抜かりがない。
 しかし、最後はきっちりしめる。(西原)「私にとって故郷やあの時代というものは、二度と帰りたくない場所です。でも、ここまで歩いてこられたのは、あの時代のおかげ。正直なみっともない青春を描いたものが映画になりました。多くの人に見ていただきたいです。」(大後)「3人の友情を見てもらって、夢を叶えるときには背中を押してくれる大切な友達がいるということに気付いてもらえたら嬉しいです。友情は男女、年齢、関係なく存在するものだと思うので、男性の方も見てください。」(森岡監督)「大阪というふるさとがあったからこそ、この映画を作れました。仕事でスランプになっている人が、この映画を見て一歩進めたり、ちょっと優しくなれたりするといいなと思います。」とそれぞれのメッセージを語り舞台あいさつは幕を閉じた。
(中西 奈津子)ページトップへ
  『ナイト ミュージアム2』 公開記念スペシャルイベント
『ナイトミュージアム2』 公開記念スペシャルイベント
〜福井県恐竜博物館から
     恐竜化石がUSJパークにやってきた!〜


(2009年 アメリカ 1時間45分)
監督 ショーン・レヴィ
出演 ベン・スティラー エイミ−・アダムス オーウェン・ウィルソン ロビン・ウィリアムス

8月12日(水)より全国ロードショー
公式サイト⇒http://movies.foxjapan.com/nightmuseum2/
 「魔法の石版」の不思議な力で博物館の展示物がよみがえる!ベン・スティラー主演の全米大ヒット映画『ナイトミュージアム2』の公開を記念して、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、期間限定で福井県立恐竜博物館からやってきた本物の恐竜化石を展示する。そのオープニングセレモニーが、パーク内の特設ステージで6日に開催され、福井県の旭副知事と吉本芸人のFUJIWARA&サバンナが駆けつけた。(展示期間は8月6日から16日まで)
 ステージにまず登場した旭副知事は、日本全国で採れる恐竜の化石の8割が福井で発掘されるとアピール。(福井県立恐竜博物館では8月15日、16日の2日間は夜9時まで営業する“ナイトミュージアム”を開催予定)続いて、映画の主人公ラリーに扮したFUJIWARAの藤本と古代エジプトのファラオ・カームンラーに扮装したサバンナの高橋が登場するとギャラリーから歓声があがった。
 (お互いの衣装について)藤本が高橋に「塩沢ときか!」とつっこむと、「藤本さんは両津勘吉でしょ!」とやり返すなど、2人の息は劇中のラリーとカームンラーさながらにピッタリ。映画のおススメポイントは藤本が「巨大なリンカーン大統領が動き出すなど前作よりスケールアップしたところ」高橋は「色んな映画のキャラクターがカメオ出演するところ」と話す。
 その後、旭副知事が展示物を甦らせる「魔法の石版」をモニュメントにはめた瞬間、ステージ奥から、考える人に扮したサバンナの八木と、リンカーン大統領像に扮装したFUJIWARAの原西が登場!しばらくジッと固まっていた2人だが、藤本と高橋のイジリにたまらず動き出すと、イベントの盛り上がりも最高潮に。そして、吉本の“ギャグミュージアム”の異名をもつ八木と原西は、副知事ジャッジのもとギャグ対決に挑み観客を喜ばせた。
 イベント終了後の囲み取材では、もし魔法の石版があったら「NGKの吉本商店街にある赤の前掛けをした坂田師匠の蝋人形を動かしたい」と藤本。リンカーンに扮した原西が「用意されていた衣装を着て、髭つけて、鏡見て、誰!?って思った」と答えると他の3人が「筑紫哲也?」「カーネルサンダースでしょ」と言いたい放題。「この扮装でコントできそう」と言う八木については「もうちょっとネタをしっかり“考えて”」と藤本からヤジが飛ぶなど終始笑いの耐えないユーモラスなイベントとなった。
(中西 奈津子)ページトップへ
  利重 剛 監督 (岡本喜八監督特集上映会ゲスト)
利重剛監督インタビュー
『映画のアルチザン・岡本喜八』特集上映特別ゲスト


☆上映会の詳細はこちら

岡本監督の『近頃なぜかチャールストン 』(1981)に19歳で主演、『ジャズ大名』 (1986)にも出演され、役者としても活躍中の利重剛監督が、8月1日、大阪九条、シネ・ヌーヴォの岡本喜八監督特集に来館。撮影現場のお話や監督作品の魅力について取材することができました。会場で行われたトークとあわせてご紹介します。
―――監督との出会いは?
中学の時に『肉弾』(1968)を観て、すっかり夢中になり、監督の作品の上映があれば、都内のあちこちの映画館に観に行きました。作品によって全くカラーが違うので、次はどんな作品かとおもしろくて仕方なかったです。高校の映研で8ミリ映画を撮っていて、『教訓T』がPFF(ぴあ・フィルムフェスティバル)で入選し、文芸座地下で上映されることになり、これは、ある日突然、高校に徴兵制が敷かれ、戦争が始まるという反戦映画でした。僕は、郵便ポストに入らないくらい分厚いファンレターを監督に送った時、そこに、生意気にも、自分の監督した作品が上映されるので、もしよかったら観てほしいと書き添えたんです。そしたら、ある日いきなり監督から自宅に電話がかかってきて、「映画、観たよ。一遍、ウチに遊びに来る?」と言われたんです。

―――監督の感想はどうでしたか?
監督の家に遊びに行ったら、「僕は変化球の監督と言われているけど、自分ではミット目掛けて投げているだけ。ただ、どれだけでたらめにやれるかが僕の持ち味だと思っていた。君の映画を観て、君の方がもっとでたらめで、これなら僕もまだまだいけると思った。すごく面白かったし、これでいいと思うよ」と言われました(笑)。

―――その出会いが『近頃なぜかチャールストン』につながるのですね?
その時、監督が『…チャールストン』のシノプシスを持って来て、「一緒に書いてみる?」と言ったんです。どこの馬の骨かもわからない8ミリ小僧の僕に、共同脚本を持ちかけるなんてすごい人です。今から思えば、ひょっとすると、僕の映画が、監督の中で新しい映画のアイデアが転がり始めるきっかけになったのかもしれないと思います。
―――そうして、脚本書きが始まるのですね?
19歳の夏、監督の家に住み込んで、まず僕がシノプシスに沿って最初から書いていき、監督が後から追っかけるようにして書いていきました。監督は「若者の色を出せればいい」、「一言でも二言でも拾えればいいから」と優しく言ってくれましたが、とにかく、監督に追いつかれないよう必死で書きました。
結局、僕が書いた脚本のうち、決定稿で採用されたのはわずか数行でした。でも、監督は、「君が先に進んでいるのを見たからこそ、僕は進めたんだよ」と言ってくれて、本当に優しい人でした。

―――シナリオの書き方について、何かアドバイスはありましたか?
シナリオについて、監督は「とにかく頭から1文字ずつ原稿用紙を埋めていくこと」を大切にするように言われました。シナリオの書き方は人それぞれですが、とにかく最初から書き始めて、ラストは決めずに書き続ける。そうすると「一筆書き」のようになる。はじめに構想していたラストと違ってもいいから、映画の求めている流れに従うこと。ダイナミズムになることが大切だと言っていました。

―――岡本監督の撮影現場はどんな雰囲気だったのですか?
喜八組には、魅力的な常連の役者さんがたくさんいらっしゃって、監督は、そういうエネルギッシュで癖のある脇役(バイプレーヤー)の方を主役に持ってきていました。
僕はいきなりの主役で、実際に喜八組に入ってみて感じたのは、皆、子どもみたいというか、友だちのようで、偉そうな人がおらず、その中に入るのはなんでもありませんでした。誰がスタッフで誰が役者かとか、どこまでが喜八組かもわからなかったです。

『…チャールストン』は1千万円の低予算映画で、とにかくフィルムがなくて苦労していました。監督の家にいたら、週に1度、木村大作キャメラマン(最近公開の『剱岳 点の記』の監督)がやってきて、「おーい、持って来たぞ〜」と、まるで子どものように16ミリフィルムを差し入れで持ってきてくれたんですよ(笑)。
(注:『近頃なぜかチャールストン』は16ミリ手持ちカメラで撮って、後に35ミリにブローアップして公開)
そんな感じで、いろんな人が、お菓子じゃなくお弁当を差し入れてくれたのも嬉しかったですね。

―――監督の演出はどうでしたか?
監督の信念は「現場は楽しく、準備は苦しく」。準備についてはあらゆる可能性を考えて、努力すればするほど映画はよくなる。現場は楽しかったです。

監督の頭の中では、カット割りもできているし、アクションつなぎもわかっているのですが、俳優に対しては、好き勝手にやっていいということで、「そこは違う」とかはあまり言われませんでした。「つながりにくいから、もう1回やろうか」というぐらいで、とにかく自由に動けましたし、撮影のテンポもよく、気持ちよくできました。

監督が言われるには、コンテをかくのは僕の「準備」。現場に出て、変えるのは構わないとのことでした。
―――いきなりの主演で不安はありませんでしたか?
僕が自分の演技について上手くできなくて悔しいと言ったら、監督が、「僕がOKを出したんだからいいんだ。俳優のそのときの能力、そのとき出せるタイミングも考えて、僕が選んだ。だから、下手と言われるなら、それは僕だ」と言ってくれたんです。

―――当時、テレビに出演して役者としても活躍されていた利重監督に、岡本監督から何かアドバイスはありましたか?
役者と監督とどっちに進みたいの?と聞かれて、監督と役者、両方面白いと答えたら、監督は「撮影所システムも数年後には崩れるかもしれない。役者として活躍し、有名になっておけば、いつか自分で監督できる機会が回ってくるかもしれないし、役者をやっておいた方がいいよ」と言ってくれました。
また、「脚本を書ける監督は強い、だから、毎晩寝る前に1ページでいいから脚本を書きなさい、毎日書いて1年経てば365ページの脚本ができあがるよ」と監督自身も黒澤明監督から受けたアドバイスを教えてくれました。
あと、「一度でいいから助監督につきなさい。自主製作では、1シーン撮るのに3日も4日もかかっているでしょう。プロの現場にいけば、効率を覚えられるはず」とも。

―――監督の映画に対する考え方はどうでしたか?
監督はとにかくすごい記憶力、動体視力の持ち主で、全部覚えていました。『ジャズ大名』の時は、楽譜にカット割りを書き込んでいたんです!デジタルがない時代に、フィルムで編集しているのですから、頭の中に構成が全部入っていたわけで、すごいことです。『血と砂』(1965)も、技術的にこんな仕事が可能なのかと驚かされた作品です。

監督の場合は、クランクインの時には、全部のカット割りができていて、全体の分数まで計算できていました。しかし、今まで2つの作品で間違いをしたと言っていました。一つが『EAST MEETS WEST』(1995・公開版)は、病気中の編集で、自分のテンポでできなかったそうです。もう一つが『大誘拐』(1991)。北林谷栄さんがセリフをなかなか覚えなくて、間が長くなってしまい、北林さんにもっと早く喋ってくださいとは言えなかったそうです。

監督いわく、映画はおもしろいことが一番大事で、おもしろくしなきゃいけない。『EAST MEETS WEST』は、ディレクターズ・カット版の方が公開版より短いんですよ!普通は逆で、ディレクターズ・カット版の方が長いですよね。監督の場合、短くて、観ている人の想像力を一番かきたてられるものが一番いいんです。
(注:シネ・ヌーヴォでの特集上映はディレクターズ・カット版です。) 

―――映画について、監督から一番教えられたことは?
映画は壮絶なまでに自由であり、何をやってもいい。こうすべき、こうあるべきというのはなくて、あれもできる、これもできる中から、監督の僕が選び、僕が楽しむ自由がある。例えばアクション映画ならば、観客に、どちらが撃つ人で、どちらが撃たれた人かがわかるというような、映画の最低限のABCさえわきまえていれば、あとは自由ということを教えてもらいました。だから、僕は、いつも、誰かのいうことを聞こうとしていないか、自分の心に聞いてみるんです。

―――利重監督からみて、岡本喜八監督はどんな方でしたか?
岡本監督は、とにかく照れ屋で、まじめで、チャーミングな硬派でした。自分がまじめだからといって、相手にもまじめさを強要しません。偉そうなのが嫌いで、自分自身も偉そうなことを言いたくないタイプ。とても話しやすい雰囲気でした。評論とかで持ち上げられるのも嫌っていました。『日本の一番長い日』(1967)が大ヒットしても、監督ご本人はあまり評価しておらず、誰でもつくれるよ、と言っていました。

偉そうな人がいたら、僕のところに寄ってきて小声で「あの人、ちょっと偉そうだよね」とからかったり…。人は1対1だから、相手を馬鹿にしてはいけない、相手をおもしろいと思えばすぐ友だちになれるはずと言っていました。

ただ、監督自身、冗談を言っていても、戦争のことは、いつも頭のどこかにあって、忘れていないような気がしました。先ほど特別上映されたドキュメンタリー『わが映画人生岡本喜八編』でも監督が言われていましたが、故郷の町の仲間たちが皆、戦死してしまったことが大きな心の傷になっているような気がします。

―――最後に、岡本監督の作品について一言お願いします。
監督の作品は、結末がたとえ悲しくても、エネルギッシュで、庶民のエネルギーがあふれていて、「俺は生きていたんだ」と思えるものばかりです。僕にとっては、映画だけでなく人生においても師であり、今までの全てについて感謝したい、すばらしい方です。こんな凄い監督はもう今はいません。『…チャールストン』は自分の原点が全部つまっていますし、ぜひ楽しんで観てもらえたらうれしいです。映画を観るのも一つの「賭け」ですからね(笑)。

今回の特集は、監督の全作品の上映ということですが、『青葉繁れる』(1974)、『吶喊』(1975)は、滅多に観られない作品ですから、ぜひ観てください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 利重監督のお話からは、岡本喜八監督の映画に対する姿勢や人となりがリアルに伝わってきて、とても興味深かったです。『…チャールストン』の宣伝スチールを懐かしそうに眺め、「この刑務所の部屋は、実はスタッフ室で、僕はここに寝泊りしていたんです」と語る利重監督は、主演・共同脚本だけでなく、フォースの助監督もやっておられたそうです。映画を観て、あれがいい、これがいいと、皆が自由勝手に言い合い、ぶつかるのが文化と言われた利重監督。岡本監督のことを心から慕っておられるのが言葉の端々からうかがわれ、そんな岡本監督の魅力は、作品を観れば観るほどわかってくるような気がします。ぜひ、この機会に多くの皆さんに岡本喜八監督の世界に触れてほしいと思います。

(伊藤 久美子)ページトップへ
  岡本みね子プロデューサー(岡本喜八監督特集上映会ゲスト)
岡本みね子プロデューサーインタビュー
〜『映画のアルチザン岡本喜八』特集上映会
        特別ゲスト 〜


☆上映会の詳細はこちら


 4年前に亡くなられた岡本喜八監督の全作品39作の一挙上映が、大阪、九条のシネ・ヌーヴォで7月25日に始まりました。
初日に監督の奥様で、喜八プロのプロデューサーとして公私ともに監督を支えてこられた岡本みね子さんが来館。お話を聞く機会に恵まれました。会場でのトークとあわせ、岡本喜八監督の作品の魅力についてご紹介します。
―――今回の特集映画祭について
監督が亡くなって4年も経つのですが、監督のことを覚えていてくださり、こうして、充実したラインナップで上映してくださること、そして観にきてくださった方々に本当に感謝したいです。夢のようです。

―――岡本監督の作品は、戦争映画、時代劇、サラリーマンもの、アクションと、バラエティに富んでいますね?
映画の編集が終わって、作品が完成し、家に帰って来た時が、一番さびしそうでした。作品を一つ嫁に出したような感じです。一つの作品を本当に一生懸命やるので、それを忘れないと次へいけないのです。ゼロから始まり、ゼロに戻るのが映画づくりだと言っていました。1本つくったら、その作品のことは全部忘れ、またゼロから出発する、というのを信条にしていました。ヒットすればするほど、良ければ良いほど、それを忘れて、違うところに挑戦するので、バラエティ豊かな作品になっているんですね。映画会社はシリーズ化したがるのですが、本人は頑固に断わっていましたね。

フェードインやフェードアウトをあまり使わなかったのも、費用がかかるわりには、自分の思ったとおりにいかないせいです。特撮も嫌いで、自分の思いどおりの映像をつくりたいのに、特撮だと技術屋さんに任せなければならないからです。それぐらい作品に対する思い入れが強かったですね。

会社から与えられた予算の枠内で、決められた期日までに、きちんと作品を完成させる人で、“職人”でした。だから会社も、困ると監督のところに頼みに来ていました。

―――『独立愚連隊』(1959年)から今年で50年を迎えますね。
『独立愚連隊』の公開時には、右翼からは怖い電話がかかり、左翼からも、とんでもない映画だと怒られました。でも、戦争に行って大変な目をされてきたお客さんからは、案外、現地はあんなものでしたよと励ましていただきました。戦争でこんなふざけた作品を、と思う人もいるかもしれませんが、監督本人は反戦映画として極めてまじめにつくった作品です。
時代ごとにいろいろな作品があると思うのですが、作品が良いか悪いかなんて時間が経ってみないとわかりません。監督の言葉で心に残っているのは、「作品をつくったとき、半分は良い、半分は悪いというのが本物。なぜかというと、作品というのは時代を超えて生きる。もしすごく当たったとすれば、それは時代が味方してくれたと思う。もし全く当たらないとすれば、やはり作品が悪い。だからいつも50/50(フィフティー・フィフティー)」時代に流されないで、しっかりものを見極めることを心に置くことだと思います。

―――監督は毎晩2時間、書斎でシナリオを書かれると本で読んだのですが?
共同脚本もありますが、ほとんど自分で書いていましたね。うちは、1階は公共広場といって、お客さんが自由に入ってきて、冷蔵庫もあり、食べて遊んで帰れるところ。2階が家族のプライベートの場。3階が監督の書斎で、家族の者も入ることができませんでした。3階に監督がいるからといって、自由に遊びにいくこともできませんでしたね。

本質的にずっと机に向かう人ではなく、動かなきゃだめ。2時間くらいいて、あきると階段をトントントンと降りてきて、庭に出たり、お客さんたちがマージャンをしていたら少しだけやって、また戻ったり。書斎と2階や1階を行ったり来たりしながら、書いていました。

40キロの荷物を背負って単独で黙々と山登りするのが好きな山男でしたから、閉塞感というのはだめでしたね。

―――撮影前にはコンテを書かれていたそうですね。
脚本は全部コンテを書いて、自分の中でどういう映画をつくるのかイメージをつくり、何分という計算もして、撮影に行く前には本を見なくてもいいくらいに覚えていました。ライティング(照明)に時間がかかるので、中抜きをして撮影して、時間を短縮していました。例えば2人で喋っているシーンなら、片方だけが喋っているのを全部まとめて撮るという方法で、マキノ雅弘監督のやり方をみて、自分なりに工夫してやっていました。

コンテ主義といわれていますが、コンテどおり撮るというわけでもなく、絶対カメラをのぞかなかったですね。絵コンテもあるのですが、アップといっても、どういうアップかはいろいろあって、そこはカメラマンのセンスにまかせていました。カメラマンはカメラマンで主張がなければだめで、一緒に組んだカメラマンのセンスを生かすために、いちいちカメラをのぞいて、指示したりはしなかったですね。

―――俳優の演出については?
既に名の売れた役者さん、例えば仲代達矢さんにしても、他の監督とは違うカラー、仲代さんにはこんなところもあるよ、というところを引き出そうとしていました。

監督は素人の演出がとても上手でした。糊とはさみがあればいいところだけを切り貼りするかのように、どんな人でも必ずワンカット入れていましたので、人気がありましたね。とにかく、映画の柄に合っていればいいわけで、芝居ができない人には、形で教えていました。
『肉弾』の大谷直子さんも当時、新人の素人で、ラブシーンの演出では、気持ちではなくて、そのままでいいからと言っていました。とにかく下向いて歩いてこい、そして(相手役の)寺田農とぶつかったら顔を上げろ、というのが、前日に練習した時の監督の演出でした。監督が何を撮りたいかがちゃんとわかっているから、役者はそこにきちんとはまっていくんですね。

―――どの作品も思い入れがあると思うのですが、お薦めの作品は?


戦争に関する映画でいえば『日本のいちばん長い日』(‘67)は絶対観て下さい。プロにしかつくれない仕事で、二人分の監督の仕事をして、出てくる役者も多い中、きちんと映画に仕上げ、仕事として観てほしいです。『江分利満氏の優雅な生活』(‘63)は、プロの技術として観てほしい作品で、監督のハートが素直に出ています。私は初めて観た時、途中で寝ちゃったのですが(笑)、この年になってわかりました。監督のあそび心とテクニックが一番いい形で出ています。『肉弾』(‘68)は、資金面等いろいろ苦労した作品ですが、ぜひ観てほしいです。『血と砂』(‘65)と『赤毛』(‘69)は海外で上映の折、字幕なしでもわかりやすいと評判がよい作品です。

『EAST MEETS WEST』(‘95)は、実は西部劇として撮ったのではなく、子どもと親が一緒に観るファミリー映画、「優しさを表現したい」といって監督が撮った映画です。なぜか西部劇として宣伝され、馬もいないし、セリフもあまりありません。アメリカのスタッフを多く使い、毎日大金が消えていって、借金したり、大変な思いをして作った作品で、私にとっても懐かしい映画です。

―――監督が学校で映画を教えられたこととかはあるのですか?

一度だけ講師をしたことがあります。でも、映画監督というのは、教えられることではないし、育てようとして育つものではない、と言っていました。昔と違って今は技術も発展しているので、映画学校等で学ぶことも多いかもしれませんが、当時は、現場で見て、盗むもの。自分が何をやりたいかがつかめていたら、映画はつくれるはず、というのが監督の考えでした。

 舞台挨拶では、今回の特集上映を心から喜ばれているみね子さんの思いが伝わり、胸が熱くなりました。監督の映画に対する真摯な思いや、役者に向き合う姿勢も知ることができ、ますます監督の作品をたくさん観たくなりました。

  岡本喜八監督の作品は、どれも、主役、脇役が皆、生き生きしていて、エネルギーにあふれていて、魅力的です。シーンがテンポよくつながれていくリズムは、まさに爽快。今回の取材やトークを通じ、映画だけでなく、監督ご自身もとっても魅力的な方だったのだと感じ入りました。

  映画を観て、ラーメン一杯食べた分だけの幸せを持って帰っていただけたらうれしいとみね子さんが言われたとおり、ぜひ、一人でも多くの人に、岡本喜八監督の世界を、スクリーンの大画面で楽しんでほしいと強く願うばかりです。
(伊藤 久美子)ページトップへ
『幸せはシャンソニア劇場から』 クリストフ・バラティエ監督来日キャンペーン

(c)Cos Aelenei
『幸せはシャンソニア劇場から』 原題:『Faubourg 36』
●日時:7月7日(火)18:30   
●会場:東京日仏学院(新宿区市谷船河原町15)
●登壇者:クリストフ・バラティエ監督


(2008年 フランス・チェコ・ドイツ 2時間)
監督・脚本:クリストフ・バラティエ 
製作:ジャック・ペラン、ニコラ・モヴェルネ 
音楽:ラインハルト・ワグナー 撮影:トム・スターン 
出演:ジェラール・ジュニョ、カド・メラッド、クロヴィス・コルニアック、ノラ・アルネゼデール、ピエール・リシャール、ベルナール=ピエール・ドナデュー、マクサンス・ペラン
配給:日活 宣伝:日活×アルシネテラン 
9月 シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋 ほか全国ロードショー
公式サイト⇒  www.chansonia.jp
作品紹介 ⇒ こちら
======================================================================
【クリストフ・バラティエ監督 プロフィール】
1965年フランス生まれ。両親共に舞台俳優で、母方の叔父がシャック・ペランという芸能一家に育つ。パリ・エコール・ノルマル音楽院でクラシックギターを学び、数々の国際コンクールで受賞したミュージシャンでもある。91年にジャック・ペランの製作会社ガラテ・フィルムに入り『リュミエールの子供たち』(95)、『ミクロコスモス』(96)、『キャラバン』(99)、WATARIDORI』(01)などを製作補として手がけ、01年に短編初監督作品「Les tombales」で注目を集める。04年の長編デビュー作『コーラス』は、フランスはもとより、世界的に大ヒットを記録した。 ======================================================================

 たくさんの観客に拍手で迎えられ登壇した監督は、挨拶とともに「自分の特徴をとらえた、とても自分に似た作品を取ることができたと思います。本作はフランスで大成功を収めましたが、ブラジル、アフリカ、そして日本を含むアジアなどをプロモーションで回っていく中で、ひとりで想像した非常に個人的な物語が世界へ拡がっていることを感じ、そのことにとても感激しています。この映画が語るものは友情で、成功が個人的な事柄ではなく、仲間とともに勝ち取るものだった連帯意識の強い時代の物語です。」と来日した喜びと作品の見どころを語り、観客からの質問に答えた。
Q.映画の撮影場所はパリのどこ?
.実はパリではほとんど撮影をしていません。パリで撮影したのは夜の一部と地下鉄くらいで、チェコのプラハにセットを建てて、撮影をしました。この映画で見られるようなパリの街並みは、今ではモンマルトル界隈の一部くらいにしか残っておらず、美術担当者と話し合って、自分たちのイメージに合ったパリを作りたいように作ろうと決めました。
部屋の中、劇場内はスタジオで。西で撮った地下鉄のシーンは空が少しあいているな・・・と思ってCGでエッフェル塔をくっつけました。だから見た人から「こっちにエッフェル塔があるなんて、おかしい」とよく指摘されました。パリに住む人はパリのどこで撮影したかは分からないと思います。しかしそれは制作費の安さを追求したからではなく、今のパリにない当時の庶民的な街を表現したかったからです。

Q.1936年のパリの庶民はお金がなく、劇場には行けなかったのでは?
.1936年は.経済的には厳しかったですが、住んでいる人たちの経済状況にあわせて各地区にミュージックホールがありました。下町の人たちは自分たちの地区にある安いミュージックホールに行っていたのです。今はもう忘れられていますが、昔ミュージックホールは皆週に2回は足を運ぶ社交場の一つだったんです。だからこの作品にも描いているように、来る人たちが飽きないように毎日演目を変えていました。
Q.作品の中でドゥース(主演女優:ノラ・アルネゼデール)のとったあいまいな行動が悲劇を招いた部分もあると思うが、監督にとってのドゥースの位置づけは?

曖昧で矛盾した感情を含んでいるのが人生。その人生と同じく、曖昧で矛盾した所に彼女を位置づけました。ドゥ―スが、悪役であるギャラピアに手を差し伸べるか否か、という思わせぶりともとれる曖昧さは、私たちの心の奥底にあるものだと思います。

Q.ドゥ―ス役にフランスでも知られていない女優ノラを選んだ理由は?
.正直、彼女を選んだことは映画が成功するかしないかの大きな賭けでした。けれども作品の内容と並行して、無名の女優がこの作品を通して有名になっていくという形にしたかったのです。3000人をオーディションしたのですが、彼女の歌、演技、画面に映った時の顔という大切な3点すべてがこの役にピッタリでした。女優には自分で歌ってほしかったのです。また俳優は三人とも有名なのでバランスも良かったと思います。
(image・net 及び 日活より)ページトップへ
 
HOME /ご利用に当たって